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大学野球PRESSBACK NUMBER
巨人、中日、横浜のスカウトが狙った東大野球部4番…“東大のブンブン丸”はなぜプロ野球を諦めた?「慶応大1年の高橋由伸は衝撃的でした」
posted2022/09/21 11:02
text by
沼澤典史Norifumi Numazawa
photograph by
Sankei Shimbun
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「お前が4番だから、東大野球部が弱いのも納得だ」
チームが勝つ上で、4番打者の責任は重大だ。そのプレッシャーは、引退して20年以上が経っても、記憶に残っている。1998年春のリーグ戦で東大野球部の4番を務めた済木俊行(1999年卒部・県千葉)は、こう苦笑する。
「東大野球部での記憶は強烈だったようで、試合の大事な場面で打てなかったり、ミスをしたりという夢を、いまだに見るんです。それどころか、試合に出させてもらえない夢を見ることすらある。やはり、もっと勝ちたかった、打ちたかったという、やり残した思いが多いんでしょうね」(済木俊行)
その春のリーグ戦ではチームトップタイの7打点を叩き出す活躍を見せたが、秋には崩れて下級生に主役を譲ってしまったことも心残りなのだろう。一度崩れた打撃のリズムはいまも立て直せないままで、趣味の草野球でも会心の当たりは稀。「お前に4番が務まるんだから、東大野球部が弱いのも納得だ」と周囲から軽口を叩かれてしまうのではないかと思い、あまり自身の大学野球については話さないようにしているという。
<済木の過去記事→『勉強ばっかりして、野球部にいる意味あんのか?』東大野球部も就職氷河期世代は“30%超”が留年…エリートも当時は就職難に悩んだ?>
今年4月から社会人野球チームの三菱自動車岡崎に進んだ井上慶秀(2022年卒部・県長野)は、現役時代の心残りを原動力に、学歴不問の実力社会に飛び込んだ。4年生だった2021年には不動の4番打者に座り、秋には.281という高打率をマークしたが、仮面浪人を含めて3浪の末に入部した彼にとっては、まだ燃え足りなかったのだろう。
「できれば、あと何本かヒットを打って打率3割に乗せたかったし、もっと勝ちたかった。1勝のためにチームで試行錯誤する野球も楽しかったのですが、次は勝てる野球をしたいと思って社会人野球に進みました」(井上慶秀)
<井上の過去記事→64連敗…“弱かった”東大野球部『ヤバい、このままだと大学4年間で0勝だ』OBが明かす、なぜ法政大の野球エリートから1勝できたか?>
巨人、中日、横浜のスカウトが注目した東大4番
済木が4年生だった1998年の東大野球部は、春秋あわせて3勝。井上の場合は、2勝だ。勝てないチームの4番打者にのしかかる圧の強さは、想像に難くない。では、勝てる東大野球部の4番とは、どんな人物なのか。そして彼は、どんなモチベーションでバットを振り、卒部後はどう生きているのだろうか。