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今年、20回目を迎えるセ・パ交流戦。日本生命が2005年から途切れることなく、スポンサードし続けてきた理由とは
posted2025/04/03 11:00

2024年度「日本生命セ・パ交流戦」開幕記者会見に参加した6選手
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広尾晃Kou Hiroo
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JIJI PRESS
梅雨の季節は野球ファンにとっては、あまりうれしい季節ではなかったのだが、このところ6月はちょっと心浮き立つ月になっている。日本生命「セ・パ交流戦」が始まるからだ。
日米のプロ野球は「2大リーグ制」だ。MLBでは1901年から、NPBでは1950年から、2つのリーグがそれぞれ独自にペナントレースを展開してきた。2大リーグの切磋琢磨、競り合いが、NPB、MLBを発展させてきたことは間違いない。しかし両リーグのチーム、選手が「真剣勝負の場」で戦う機会は、日本シリーズ、ワールドシリーズ、オールスターゲームを除いて、ほとんどなかった。そのためにアメリカでは「最後の4割打者」レッドソックスのテッド・ウィリアムスは、同時代の「伝説の黒人初メジャーリーガー」ドジャースのジャッキー・ロビンソンとは公式戦では対戦していない。
NPBで言えば、400勝の大投手、国鉄、巨人の金田正一は、キャリアが重なりながら、南海、ロッテ、西武の大捕手野村克也とはオールスターゲームと日本シリーズ以外では対戦したことがない。
リーグの垣根を越えて、2大リーグが公式の場で戦う交流戦(インターリーグ)ができたのは、日米ともに「球史に残る事件」がきっかけだった。MLBでは、1994年から’95年にかけてMLB選手会が待遇改善を求めて史上最長の4カ月近いストライキを行った。これに伴い、観客動員数が急落した。MLB機構は、人気回復の起爆剤として1997年からアメリカン・リーグとナショナル・リーグのチームが対戦する「インターリーグ」の導入を決めたのだ。新たな対戦カードができることは、野球ファンには好評をもって受け入れられ、観客動員数は’96年の6016万人余から6323万人余と増加した。
NPBでは2004年に起こった「球界再編」騒動がきっかけになった。日本プロ野球選手会も、1リーグ化反対を訴えて史上初のストライキを行ったが、こうした騒動のダメージから回復するためにも新機軸が必要との方針で、翌年からの「セ・パ交流戦」が決まったのだ。観客動員の数字は2004年まで「球団発表」、2005年からは「実数発表」と変更されたため、客足が伸びたかどうかはわからないが、野球ファンからはおおむね好意的に受け止められ、現在まで続いている。
しかし前代未聞のことではあるから、「セ・パ交流戦」が始まった当初、NPB関係者が「果たしてお客様は来てくれるだろうか?」「ファンは新しい対戦を支持してくれるだろうか?」と不安に思っていたのは間違いない。日本生命は、2005年の第1回から、特別協賛として「セ・パ交流戦」を支援してきた。まだ評価の定まらない、こうしたイベントをスポンサードするのは、大きな決断だったのではないか。
NPBの「挑戦する」姿勢への共感
「2004年は、ちょうどプロ野球創設70周年だったのですが、NPBさんからプロ野球の魅力をアップし、お客様にさらに満足いただくために『セ・パ交流戦』という“新たな挑戦”をしたいとのご提案をいただきました。私どもに一番にお声がけをいただいたと聞いていますが、日本生命は、2002年からプロ野球月間MVPのスポンサードを続けてきました(2019年からは日本生命保険グループの大樹生命がスポンサード)。そのことも大きかったと思います。当社は、お客様の夢や希望を、現実のものにしていくために常に挑戦していきたいという考えを持っています。NPBさんの『挑戦する』姿勢とも相通じるものがあると思い、当時、協賛開始という判断に至ったようです」
「セ・パ交流戦」のスポンサードを担当する日本生命保険相互会社、三田村研吾理事業務部長は語る。
日本生命と野球の関係は深く、長い。日生球場は近鉄バファローズの本拠地であり、夏の高校野球の予選(選手権大阪大会)や、関西六大学野球(当時)のリーグ戦などの舞台でもあった。この「日生」とは「日本生命」のことで、日本生命が所有していた球場だったのだ。今はやりのネーミングライツではなく、日本生命が自社で建てた球場だ。
「日本生命は1889年に創業しましたが、40年後の1929年には野球部を創部しています。都市対抗野球には1949年から参加していますし、優勝も4回記録。社会人野球日本選手権大会でも3回優勝しています。また日本生命野球部は、ただ試合に勝つだけではなく、日本生命の社名をつけてプレーするからには、観られて恥ずかしくない野球をしようということで、選手交代の時には全力で走ることと、勝っても負けても声を掛け合って元気な野球をすることを心がけています」
かく言う三田村理事業務部長も、福井県出身で高校まで野球をしていた。福井県は巨人戦の中継が多かったので、巨人ファンが多数派だったが、三田村理事業務部長の父君は阪神ファンで、巨人阪神戦では、家族で応援合戦が巻き起こったと言う。
今年も若手選手の登竜門となるか
「セ・パ交流戦」は、雨が多い6月という時期に設定されている。プロ野球への関心も落ち着いてくるこの時期に、新味を打ち出したことは、マーケティング的にも有意義だった。
交流戦によって、同じ「松坂世代」のソフトバンクの和田毅、杉内俊哉と阪神の藤川球児の投げ合い、2017年のドラフトの目玉だった日本ハムの清宮幸太郎と、その外れ1位だったヤクルトの村上宗隆のバット勝負など「物語性」をたっぷり含んだ名勝負が、次々と生まれた。また「セ・パ交流戦」は、無名選手の登竜門でもある。たまたまレギュラーが故障、離脱して、抜擢された若手が「怖いもの知らず」でいきなり活躍し、レギュラーにのし上がることがしばしばあるのだ。
2019年にはオリックスの新人・中川圭太が交流戦首位打者に輝いた(彼は現時点で、最後のPL学園出身NPB選手でもある)。記憶に新しいのが、昨年の水谷瞬だ。ソフトバンク時代は一軍出場がなかったが、現役ドラフトで日本ハムに移籍。その身体能力の高さに驚いた新庄剛志監督がスタメンに抜擢すると、交流戦で史上最高打率.438を記録しMVPを獲得した。余勢をかってオールスターゲームにも出場。18試合の交流戦で、水谷はスターダムに躍り出た印象だ。
ちなみに日本生命「セ・パ交流戦」のマスコットの「セカパカくん」というキャラクターも注目されはじめている。「トラッキー」「ドアラ」をはじめ、12球団には個性の強いマスコットが揃っているが、そういうキャラクターとは一線を画して、「アルパカ」をモチーフにデザインされたセカパカくんは2m超の長身で、のんびりした印象だ。
「『セ・パ交流戦』で優秀選手賞を獲得した選手には『セカパカくん』のクッションを進呈するのですが、選手の中には『これが一番欲しかったんです』という人もいます。ここまで浸透したのは、本当にありがたいですね」。自身も表彰式のプレゼンターを務めた経験がある三田村理事業務部長はそう語る。
ところで、NPB審判員の左胸と左袖に「日本生命」のマークとロゴがついているのをご存じだろうか。
「NPBの審判員へのスポンサードは2023年から始めました。審判員は試合を進行する大事な存在で、野球の発展には欠かせません。私たちも、ともに発展していこうという思いがあって、支援しています。それから昨年9月18日と19日の試合で、審判員がピンクユニフォームを着用しましたが、これは日本生命が取り組む『がん検診受診勧奨活動』にNPBさんも協力いただいて実施したものです」(三田村理事業務部長)
MLBでは毎年5月第2日曜日(母の日)には、マザーズデーとして全球団がロゴや背番号、スパイクなどにピンクを配して「母への感謝」の啓発活動をする。NPBでも同様の活動が2021年より開始されたが、これも人々のライフスタイルに寄り添う日本生命らしい取り組みだと感じる。
永くサポートしてこそ価値がある
さらに、日本生命は、野球部と女子卓球部による「スポーツ教室」を行っている。NPBの審判員も協力している野球教室には、2023年度で言えば、25カ所2920名の子どもたちが参加した。
「全国47都道府県の日本生命の支社が、そこにある各営業部からの要請を受けて支社単位で『スポーツ教室』を実施しています。その都度、日本生命の野球部を派遣して指導をしていますが、教え方がうまいと地元のお客様に大好評なんです」(三田村理事業務部長)
日本野球は、特に少年野球の競技人口減少に悩まされているが、日本生命の取り組みは、すそ野拡大という意味で心強い支援だと言えよう。
今、多くのスポーツイベントに「冠スポンサー」がつくが、多くのクライアント企業は、一定程度の「マーケティング的な目標」を達成すると、撤退することも多い。一方、日本生命はNPBの月間MVPを、グループ企業も含めて四半世紀近くもスポンサードしている。そして「セ・パ交流戦」は、今年で20回目(2020年は新型コロナ禍の影響で実施せず)を迎えることとなった。
「『保険』というものは、基本的に人生を支え、サポートしていく重要なものです。そしてプロ野球も、人々の生活に寄り添って喜びを与えていく。同じような位置づけにあるという共鳴が、スポンサードの根底にあると思います。人生には様々な波風が立ちますが、生命保険会社は、そうした起伏ある人生を補完していく会社であり、永くサポートしてこそ価値があると思います。日本プロ野球とのかかわりも、永く続けてこそ意味があると思います。
もちろん、そのためには私たちが支援していることの認知度がさらに上がっていく必要がありますが、私たちは今後も変わらない目線で、『セ・パ交流戦』を支援していきます」(三田村理事業務部長)
日本生命「セ・パ交流戦」から今年も新しい対戦、新しい名勝負が生まれようとしている。
