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巨人、中日、横浜のスカウトが狙った東大野球部4番…“東大のブンブン丸”はなぜプロ野球を諦めた?「慶応大1年の高橋由伸は衝撃的でした」 

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沼澤典史

沼澤典史Norifumi Numazawa

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photograph bySankei Shimbun

posted2022/09/21 11:02

巨人、中日、横浜のスカウトが狙った東大野球部4番…“東大のブンブン丸”はなぜプロ野球を諦めた?「慶応大1年の高橋由伸は衝撃的でした」<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

今年のドラフトで東大史上7人目のプロ入りを目指すエース・井澤駿介投手。今から28年前、ドラフト候補として複数のプロ野球スカウトから注目された東大4番がいた

 過去30年の東大野球部の戦績を見ると、1994年がひときわ輝いている。春秋ともに4勝ずつ、計8勝をもぎとったのは、まさに快挙だろう。そんな東大野球部史上でもトップクラスに強いチームで4番を張っていたのが、片山英治(1995年卒部・横浜翠嵐)である。『週刊ベースボール』1994年9月号は、「東大三羽ガラスの咆哮」と題したグラビア記事を組み、当時のエース投手および主将とともに、主砲の片山を紹介している。

 片山は、187cm・87kgの恵まれた体格と、「東大のブンブン丸」と呼ばれるほどの思い切りの良い振り回しからの長打が魅力の選手だった。プロ野球チームからも注目され、その試合には読売ジャイアンツ、中日ドラゴンズ、横浜ベイスターズ(当時)などのスカウトたちがいつもネット裏に顔をそろえていたほどだ。ドラフト候補とも目されたスラッガーは、そもそもどんな思いで東大野球部の門を叩いたのか。

“一橋大不合格”からの逆転劇

 高校3年生の夏、片山は横浜翠嵐の四番打者として甲子園を目指していた。旧制中学以来の伝統を誇りつつも、激戦区の神奈川県にあってそれまで4回戦を突破できずにいた同校野球部は、この年、あえなく2回戦で敗退。引退することになった片山には、野球への未練がまだたっぷりあったという。

「小中高と野球をやってきた中でトップレベルの選手との対戦機会がなく、自分の力はどこまで通用するのかな、というもやもやした思いが、高校最後の試合から時間が経つにつれて、だんだん強くなっていきました」(片山英治)

 現役当時の片山は、東大でなく、一橋大を第一志望に受験するも、結果は不合格。いやおうなく浪人生活に突入したが、そこで東大を目指す決意を固める。

「それまで団体スポーツをずっとやってきた身ですが、受験はいわば全国規模の個人戦。浪人して目指すなら、トップである東大を狙ってみようと考えました」

 1987年の秋リーグ戦で東大野球部は199勝目をあげているが、その後なかなか勝てずにいた頃だ。

「浪人生活に入った頃、『東大野球部が通算200勝目前』というニュースをたまたま目にしました。受験に合格すれば、野球で同世代のトップ選手と対戦する機会も得られるんだと、東大受験の大きなモチベーションになりました」

「あの稲葉よりも打率ランキングが上でしたよ(笑)」

 晴れて東大のユニフォームに袖を通した片山を、野球の神様は本当に待っていた。その年の春の開幕戦で、東大は立教大を破って200勝を達成。発奮した片山は浪人のブランクを跳ね返し、1年秋からベンチ入りを果たす。さらに、異例の高評価を受け、2年春には先輩らを抑えて4番に抜擢された。

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