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大学野球PRESSBACK NUMBER
28年前“ドラフト候補”だった東大野球部4番…プロ野球を選ばず大人になって何になった?「2学年上の東大野球部主将も就職した銀行に…」
posted2022/09/21 11:03
text by
沼澤典史Norifumi Numazawa
photograph by
JIJI PRESS
野球において、4番打者はチーム内でとりわけバッティングに優れた選手が選ばれ、試合中も注目を集める“花形”だ。頭脳明晰なエリートが集まる東大野球部のスラッガーは、社会に出て、どんな立場で活躍しているのだろうか。
1995年に卒部、当時ドラフト候補としても注目された片山英治氏に聞いた(全2回の2回目/#1へ)。
1995年に卒部、当時ドラフト候補としても注目された片山英治氏に聞いた(全2回の2回目/#1へ)。
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「2学年上の東大野球部主将が興銀に就職した」
「東大のブンブン丸」の異名をとる積極的なバッティングで東大野球部の4番を務め、プロ野球のドラフト候補としても注目された片山英治(1995年卒部・横浜翠嵐)。法政大の4番だった同学年の稲葉篤紀や、1年生の春リーグ戦で3本塁打を放った慶應大の高橋由伸などの圧倒的なパフォーマンスを目の前にした片山は、プロ志望ではなく就職を選んだ。
片山が東大を卒業した後に進んだのは、日本興業銀行(興銀、現みずほ銀行)だった。興銀といえば、バブルのピーク時(1989年)にはNTTに次いで世界2位の時価総額を誇った巨大金融機関だ。当時の普通銀行は、営業で広く集めた預金を貸し付けて利ざやを稼ぐビジネスモデル。対して興銀は、債券を発行する権限を政府から特別に与えられており、そこで調達した資金を大企業などに長期で貸し付けて利益を得ていた。金融界のトップに君臨するエリート集団として、一般の就活学生はもちろんのこと、多くの東大生にも魅力的に映り、興銀はその名を内外に轟かせていたのである。
「お恥ずかしい話ですが、2学年上の野球部主将が興銀に入行したと聞いたときに、初めて存在を知ったんです。取引相手が大企業中心で、個人顧客から預金を集めていない銀行でしたので、一般的には知られていない銀行でしたが」(片山)
なぜ興銀に決めたのか?
昨今とは違い、当時は先輩学生を通じて就活の情報を得るのが一般的だったようだ。1学年上の先輩も入行し、彼らから興銀についての情報を受け取ることで、同行の役割や業務内容などを知っていったという。