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『そうだね、焼肉食べれるように頑張ろう』坂本花織の緊張をゆるめる「プラスワンな存在」
posted2025/03/24 11:00

text by

松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
Wataru Sato
多くの人が見守る観客席の前で、フィギュアスケーターはただ1人リンクに立ち、音楽が始まってスタートする瞬間を待つ。空間は広大だ。その孤独感を言葉にするスケーターも少なくない。
北京での国際大会で表彰台にのぼり、世界選手権で3連覇中の坂本花織もまた、その孤独な世界に生きる。
「見た目はリンクにたった1人で滑っているんですけど......」
と前置きして、続ける。
「リンクサイドで先生方が見守ってくださっていたり、お客さんも『頑張れ』という気持ちで見てくださっているのかなと思うので、みんなに見守られながら滑っているという気持ちです」
「先生方」と呼ぶのは長年指導を受ける中野園子コーチとグレアム充子コーチだ。2人に教わるようになって20年になる。
「もちろん、ふだんの指導に2人がいるのは当たり前というか、絶対欠かせない存在です。調子が悪くなったときに慰めるんじゃなくて、『花織はそんなもんじゃないでしょ』と活を入れて自分を奮い立たせてくれるのが中野先生のやり方です。これまでそれで何回もいい成績を出してこられたので、中野先生のそういった愛のある厳しい言葉が、自分に成長のきっかけを与えてくれるのかなと思います。グレアム先生は改善するべきことを的確に指示をしてくれることが多くて、ほんとうに図星のところで怒られることが多いので、これがいけなかったんだ、ここは絶対直さなきゃいけないんだって感じる言葉が多いです。中野先生と、グレアム先生と20年も一緒にやってきたので、自分より花織のことを知っているんじゃないか、と思うくらい自分では気が付けないところまで指導してくださっています」
熱心な指導を受けつつ、日々練習に励んだ。
「ダメダメな人間になっていたと思います(笑)」
ときには前向きになれないこともある。辛くなることもある。
そんなとき、一緒に練習している同世代のスケーターの姿や、フィギュアスケートと関係のない友達との会話がポジティブな方向へと気持ちを切り替える契機になる。
「スケート以外の友達と喋って気持ちを発散して、スケートに詳しくないからこその違う視点からの意見を聞いたりします。自分の固定観念を覆すような話を聞いて、『その考え方もあったんだ。じゃあ次に気持ちが沈んだときはこっちの考え方にしてみよう』とか、いろいろな選択肢をいろいろな方からもらって、それで気持ちがプラスの方に向かい始めることが多いです」
さまざまな人に支えられつつもスケートに取り組む坂本。その根幹といえる部分には、コーチの存在があることを次の言葉は示している。
「先生方に出会ってなかったら、基本的に自分に甘い性格なので、たぶんもうダメダメ人間になっていたと思います(笑)。3姉妹の末っ子だし、しかも歳が離れているからお姉ちゃんたちも母親みたいな感じで接してくれて、ほんとうに甘やかされて育ったので」
だからコーチたちの厳しい指導がなければ今日はなかったという。
世界一のスケーターになった今、あらためて練習の大切さを語る。
「演技をはじめる最初のポーズのときに『今日はいけるな』って思えるかどうかで結果も変わってきます。練習で不安があれば、そのちょっとした不安が広がってしまうので、気持ちがいちばん大事なんだなということは何回も試合を重ねて思うことです」
試合での緊張に立ち向かうために欠かせないことは試合直前にもある。
坂本は演技の直前、リンクのフェンス越しに中野コーチから何かしら言葉をかけられ、背中をぽんと叩かれ、あるいはそっと押されてスタートポジションに向かう。
「ルーティンとして絶対にあるところなので、なかったら『どうしよう』みたいな感じになると思います。その時その時によってかけてくださる言葉は異なるのですが、きっとお互いにとってとても大事な瞬間。いつも『よし!』という気持ちになります。」
ガチガチになっていた坂本を緩めた中野コーチの言葉
坂本の記憶に強く刻まれているのは、2017年11月に行われたグランプリシリーズの1つ、スケートアメリカだ。韓国・平昌での国際大会を控えるこのシーズン、坂本はジュニアから上がってシニアとして初めてのシーズンに臨んでいたが、思い描いたような演技には届かずにいた。
「そこまでの大会で、フリーをノーミスで終えることができなくて、どこか1つミスをしてしまうことが多くて。スケートアメリカに向けてはすごく調子が上がってきていたので、自分的にも『今日は行けそうだな』っていう気持ちになっているのと同時に、緊張でけっこうガチガチになっていました」
ショートプログラム2位で迎えたフリーのスタート直前、中野コーチにかけられた言葉を忘れない。
「『ノーミスしなかったらリンクから上がってこなくていいから』って送り出されて、『え? 上がりたい。やらなきゃ』と思ったら、ガチガチになっていたのがいい感じに緩みました(笑)」
結果、そのシーズンで初めてノーミスでフリーを滑り切り、総合得点でも自身初めての200点台となる210.59点と自己ベスト(当時)を大幅に更新、2位で表彰台に上がった。
翌月の全日本選手権でも会心の演技で2位になり、大舞台への切符をつかんだのも、スケートアメリカで一つ殻を破ったからこそだった。
4年後の北京での国際大会も忘れがたい。
ショートプログラムで3位につけた坂本は、フリーを最終グループで迎えた。重圧はこれ以上ないほど高まった。
「前の選手が滑っているときに緊張で、ほんとうにもう涙が出そうなぐらいでした。『とにかくやらなきゃ、このために、ここに出て良い演技をするために今まで練習してきたんじゃないの』って自分に言い聞かせました」
緊張と戦っているとき、後ろに中野コーチがいた。
「ぱっと振り返ってひとこと言いました。『頑張ったら焼肉』。先生も『そうだね、焼肉食べれるように頑張ろう』って最後、送り出してもらいました」
緊張との戦いに勝利した坂本はフリーでも好演技を披露、大舞台の表彰台に上がった。
後押しをしてくれる人がいて、押しつぶされそうになる重圧を乗り越えた。広大な会場の中、坂本は孤独ではなかった。
お母さんみたいな存在
中野コーチとは「喧嘩はよくしますね。たぶん、言いたいことをお互いに言ってしまうので」と笑う。それができるのも信頼あればこそ。焼き肉のやりとりもそうだ。長年培った関係があるからこそ、大一番を前にしても揺らぐことは無い。「喧嘩はよくする」と言いつつ、坂本は語る。
「お母さんみたいな存在です。スケートの技術のことももちろん指導してくださるし、普段の生活のことでも間違っていることは全力で叱ってくれる。スケートだけを教えていたらいい、みたいな先生ではないです。世間一般の常識もやっぱりスケートだけをしていたら、どうしても知る機会が限られてしまったり、フィギュアスケートは独特な世界なので、一般の人たちと同じようにしようとしても、それとは違ってしまうことが多いんですけど、ちゃんと1人の人間として生きていけるように指導してくださるので、ほんとうにこの先生に習っていてよかったって、練習でも試合でも、生活においてもそう思うことが多いです」
支えてくれる存在への感謝を知るから、こうも語る。
「先生方がいてくださってこそ今の自分がいます。それに友達の存在も大きいし、一緒に練習しているチームメイトたちもいるから、自分が頑張れるのもあります。1人じゃここまでやってこれなかったので、『ひとりじゃない』って心から思えます」
3月下旬には4連覇のかかる世界選手権が控えている。
「今回の世界選手権で4年に一度の大舞台の国ごとの出場枠が決まります。直接影響する試合でもあるので、この世界選手権からそこを見据えて、しっかり頑張っていきたいと思っています」
演技を終えた後の晴れやかな笑顔、万雷の拍手を浴びる姿は、「ひとりじゃないから」緊張を乗り越えた先にある光景だ。
坂本花織は、後押しする皆の思いを受け止め、再び大舞台に挑む。
坂本 花織KAORI SAKAMOTO
2000年4月9日生、兵庫県出身。'16年全日本ジュニア選手権優勝。シニア転向後、'18年四大陸選手権を制し、平昌五輪では6位入賞。'22年、北京五輪に出場し、銅メダルを獲得。'23年にGPファイナルを初制覇。'24年には日本人史上初の世界選手権3連覇を達成した。159cm。
adidasが2024年1月よりグローバルで展開する「YOU GOT THIS(大丈夫、いける。)」。2025年はアスリートをプレッシャーから解放し、支えとなり、ポジティブな影響を与えてくれる「プラスワンな存在」に焦点を当て、様々なアスリートが「ひとりじゃないから。大丈夫、いける。」と思えるエピソードについて語ってもらいます。
▶ adidas「YOU GOT THIS」×Number特設ページはこちら
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