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あの張本勲も野村克也も絶賛した“プロ野球史上最速ピッチャー”なぜ29歳で引退したのか? 高校中退してプロ入り→1年目で「20勝」“怪童”尾崎行雄の伝説
posted2025/04/03 11:02

あの張本勲も野村克也も絶賛した「史上最強投手」とは何者か
text by

太田俊明Toshiaki Ota
photograph by
Nanae Suzuki
◆◆◆
高校2年の秋に浪商(大阪)を中退して、プロ野球「東映」に入団した尾崎行雄。“怪童”と称される尾崎は、どんな投手だったのか?
野村克也、張本勲の評価
当時26歳、気鋭の若手だった野村克也(南海)も後に、〈初めて見た尾崎のボールはおそろしく速かった。今もプロ野球史上最速のピッチャーに尾崎の名前を挙げる人も少なくない。私は阪急の山口高志に軍配を上げるが、こればかりは打席に立ったバッターの感覚だから判定の下しようがない〉(「プロ野球 最強のエースは誰か」彩図社)と記している。
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さらに、尾崎デビューの前年に首位打者を獲得していた4年目の張本勲(東映他)も、後に〈プロ野球の右ピッチャーで一番速いのは尾崎でしょう〉と語っている(BSフジ「プロ野球レジェン堂」2025年3月11日)
プロ1年目の尾崎は、4月22日の近鉄戦で初先発して、12奪三振完封。オールスターまでに18勝をあげる活躍で、17歳にしてオールスターに出場。第2戦で勝利投手になるという快進撃だった。その後は酷使から失速して、最終的には20勝9敗、防御率2.42で最初のシーズンを終えたが、東映のリーグ初優勝に貢献して新人王にも選ばれた。18歳での新人王獲得は、今後も破られない記録だろう。
29歳で引退するまで
順調なスタート切った尾崎だったが、2年目に故障が出て、わずか7勝に終わり、3年目は復活して20勝をあげ、奪三振もリーグ最多の197個を記録したものの、負けが18と期待通りの活躍とはならなかった。
4年目となる1965年には変化球のナックルを習得して、これによりそれまでの直球一辺倒の投球から幅が広がった。この年は、27勝12敗、259奪三振、防御率1.88という好成績で、ベストナインにも選ばれたが、結局これが尾崎のベストシーズンになった。
その後は、肩の不調に悩まされていく。