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「ソフトバンクなら誰が監督でも勝てる」のウソ…工藤公康ら11人の監督を知る男が証言「誰がNo.1?」選手起用が“当たる人・外れる人”の決定的な違い
posted2025/04/05 11:00

12球団屈指の選手層を誇るソフトバンク
text by

岡野誠Makoto Okano
photograph by
Nanae Suzuki
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時代によって、“求められる監督像”は変わっていく。現役時代に金田正一、山内一弘、稲尾和久など7人、コーチやファーム監督時代には梨田昌孝や工藤公康など4人の指揮官に仕えた水上善雄は、1970年代から現在に至るまでの“監督という仕事”の変遷を知る貴重な人物でもある。
金田正一は“論理より感性”だった
「私がロッテに入団した時、監督は金田正一さんでした。選手起用や作戦はコーチに相談せず、自分で決める。金田さんに限らず、昔の監督は絶対的な存在で、トップダウン型がほとんどだったと思います」
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空前絶後の400勝投手は1973年、ロッテの監督に就任。2年目にチームを優勝に導き、日本シリーズでは巨人のV10を阻止した中日を破って日本一に輝いた。翌秋のドラフト3位で桐蔭学園高から入団したのが水上だった。
「初回、先発投手がベンチから出て行って、投球練習を始める。それを見た金田さんが『おい、醍醐(猛夫)。リリーフ用意しとけ』って指示するんですよ。まだ試合が始まってないのに、歩き方と数球で『今日はダメだ』と判断していた。バッテリーコーチの醍醐さんは『え、もうですか』と戸惑ってましたよ。でも、それが当たっていた」
水上はプロ1年目の1976年5月9日、代走で初出場を果たす。しかし、左中間への打球判断を誤ってホームタッチアウト。ベンチに帰ると、金田監督の視線に気が付いた。
「ずっと顔を見てるんですよ。私は全然平気な表情をしていました。落胆していたら、たぶん次の日から二軍だったでしょう。金田さんは選手の雰囲気や顔付き、態度を判断材料の1つにしていた。投手交代のように独特の感性がハマると、選手も凄いと感じるし、付いていくようになる。ただ、その起用法で結果が出なくなると、根拠がわかりづらいので、違和感を抱くようになる。徐々に噛み合わなくなったのかなと思います」
金田より厳しかった“ある監督”
実は、ソフトバンクを5度の日本一に導いた工藤公康と金田正一には共通点があるという。工藤政権のもと2015年から二軍監督、2018年には一軍内野守備走塁コーチを務めた水上が語る。