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大谷翔平「じつは落選していた」楽天ジュニアのセレクション…そのエースだった“仙台の天才”は何者か「彼の剛速球で捕手が骨折」「仙台育英に進学」
posted2024/07/07 11:00
text by
中村計Kei Nakamura
photograph by
JIJI PRESS
◆◆◆
最初、言っている意味がわからなかった。
「私が投げていたんで……」
渡辺郁也は困惑していた。
「私が投げていたんで…」の真意
渡辺にインタビューしていたその居酒屋は楽天のホーム球場からほど近く、仙台エリアの野球関係者の御用達店でもあった。
店主に私が、渡辺は仙台育英の選手だったことを告げると、「誰の代だっけ?」と尋ねてきた。それに対し渡辺は自分が投げていたのでと返したのだ。
少し間を空けて渡辺が「1個下が上林の代です……」と答えると、店主はようやく納得したようだった。
上林とは、中日の上林誠知のことである。仙台育英時代は1年秋から4番に座り、うまさも兼ね備えた左のスラッガーとして注目された。高校卒業と同時にドラフト4位でソフトバンクに入団し、5年目には自己最多の22本塁打をマークした。
渡辺は仙台育英を卒業したあと、東都リーグの強豪・青山学院大に進んだ。大学卒業後は地元の仙台に戻って大手の不動産会社に5年間、保険会社に2年間それぞれ勤め営業に励んだ。その名残なのだろう、渡辺は基本的に自分のことを「私」と言った。
そして、昨年からは祖父が始めた実家の自動車整備工場で働いている。渡辺を含めて整備士3名の小規模な工場だ。
渡辺は「営業も疲れちゃったんですよね……」と語る。
「営業をやってると(経歴は)すごい武器になるからって言われるんですけど、それができなくて。育英のエースだったと言っても、誰もわからないんです。そんなに周知されていない代なんで。だから、いちおう大谷世代です、って言うんですけど。『誰の代?』って聞かれても、私、投げてたんで。俺の代だし、って。上林の名前とかを出さないとわからない。それが嫌で」
その話を聞き、ようやく理解した。「私が投げていたんで……」というのは「自分の代だ」と言いたかったのだ。
「東北の天才」渡辺郁也とは何者か
渡辺は仙台育英で1年夏からベンチ入りを果たしている。3年夏はエースとして甲子園のマウンドを踏み、2勝を挙げた。経歴だけ見れば、立派な野球エリートだ。だが、渡辺の口ぶりは終始穏やかで、何かを成し遂げた人間特有の圧力のようなものはまったく感じられなかった。