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大谷翔平を超えていた“消えた天才”は今「私みたいになって欲しくない」なぜプロ野球を諦めたのか? 仙台育英の同級生“ベンチ外”松原聖弥はプロに…
posted2024/07/07 11:03
text by
中村計Kei Nakamura
photograph by
Number Web
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早過ぎやしないか。渡辺郁也の話を聞きながら、何度もそう言いたくなった。
だが、それは渡辺もわかっていた。
「あきらめるのが早いのは性格的なものもあるのかな。挫折を経験したときにがんばれなかった。高校で投手は無理だと思ったら、すぐに打者でいこうと思っちゃいましたし。楽な方に逃げてしまいましたね。でも人間って、そういうもんだとも思うんですよね」
元中日の選手「渡辺の能力は本当にすごい」
渡辺は大学4年になると、再び試合に起用されるようになった。聖光学院出身で、青山学院大でチームメイトだった同学年の岡野祐一郎(元中日)は渡辺の実力を手放しで褒め讃える。
「彼は小さい頃からずっとすごいんですよ。大学でも2年間ぐらいほぼ腐っていたのに、最後、4年になって試合に出るようになったら打つんですもん。能力的には本当にすごいんです」
すごかった――。渡辺だけではない。今回の取材で小学校時代、あるいは中学時代にそう言われていた選手のほとんどがプロ野球選手になるという夢をつかめていなかった。
彼らのウィークポイント。それはやらなくてもできてしまうところなのだろう。やって、やって、やっとできるようになった経験がないから、どうしても見切りが早くなってしまう。渡辺はそれも自覚していた。
天才の告白「プロになった人間」との決定的な違い
「私もどっちかっていうとできちゃったタイプなんですよ。特にがんばったという記憶もない。そうすると謙虚になれない。挫折は早い方がいいと思います。私の場合、最初の挫折が高校2年とかだったんで。小学校時代とかに大谷(翔平)に出会っていたら中学で軟式はやっていなかったかもしれませんね」
渡辺は「自分は狂えなかった」と言う。どんなに才能豊かでも自分を信じ切ることができないタイプと、どんなに下手くそでも勘違いしているとしか思えないくらいに自信過剰なタイプがいたとして、極論になるが、アスリートとしてどちらが成功する確率が高いかといえば間違いなく後者だろう。渡辺は自戒を込めて言う。