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「大谷翔平は知らない。でも渡辺は超有名でした」東北No.1だった天才14歳…今明かす“高校で伸びない”絶望「中3大谷と仙台育英の監督室で会った」

posted2024/07/07 11:01

 
「大谷翔平は知らない。でも渡辺は超有名でした」東北No.1だった天才14歳…今明かす“高校で伸びない”絶望「中3大谷と仙台育英の監督室で会った」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

大谷翔平と同年で、「東北の天才」といわれていた渡辺郁也(仙台育英時代)

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中村計

中村計Kei Nakamura

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 今年、30歳を迎える大谷翔平世代。大谷が「セレクションで落とされた」と発言する小学時代の楽天ジュニアで、エースを担ったのが渡辺郁也である。中3の春、東北No.1選手といえた渡辺は、仙台育英の監督室で大谷と出会う――。【全4回の2回目/1、3~4回も公開中】

◆◆◆

 渡辺郁也は当時、宮城一、もっと言えば、東北一の投手だったと表現しても、そう大きく間違ってはいないだろう。というのも小学6年生のとき、渡辺は楽天ジュニアのメンバーに選ばれ、2006年12月に行われたNPB12球団ジュニアトーナメントで実質的なエースとしてチームを優勝に導いてもいるのだ。

「あのときは県の大会はどうでもよかった。楽天ジュニアに選ばれることが目標だったんです。その年から、東北から集めると言われていたので」

大谷が“落選していた”楽天ジュニア

 プロ12球団が地元の小学生たちをそれぞれに選抜し、大会を開催するのは2回目のことだった。楽天ジュニアは1年目、選手選考の対象を宮城県内に限定していたが、2年目からはその対象を東北エリアに拡大していた。渡辺の身長はその頃、165センチぐらいだった。小学生にしてはかなり大きい方だが、楽天ジュニアに入ると175センチの選手もいた。そのことには驚いたものの、同学年の選手のプレーを見て驚いたことはなかったという。

「すごいやついっぱいいるなぐらいの感じでしたね」

 口では「すごい」と言っているが、まったくそうは思っていない言いざまだった。

 12球団トーナメントは軟式ボールで行われるため、メンバーの大半が学童野球の選手たちだった。硬式野球出身の選手も少ないながらいたが、そのとき水沢パイレーツでプレーしていた大谷翔平は選ばれていない。

 大谷はNumber誌1000号『<二刀流の未来地図>大谷翔平「絶対世界一に、と歩むが勝ち」』という記事の中で、このときのことについて触れている。

〈僕、小学校のときには(12球団ジュニアトーナメントの)楽天ジュニアのセレクションで落とされていますし、僕よりすごいと思う選手は東北にもたくさんいました〉

【次ページ】 中学時代の監督は須江航だった

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