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藤浪晋太郎に黒田博樹が激怒「あの“死球”がトラウマになった」説も…藤浪晋太郎30歳がいま明かす“阪神時代に何があったのか?”《単独インタビュー》
posted2025/03/29 11:04

2月末、キャンプ地のアリゾナで取材に応じた藤浪晋太郎(マリナーズ)
text by

中村計Kei Nakamura
photograph by
NumberWeb
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あのときのことを語るには時間という隔たりと、そして、空間的な距離も必要だったのかもしれない。いや、むしろ、それらは聞く側にこそ必要だったと言ってもいい。
約9695km――。
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大阪からアリゾナまでの距離だ。
これと、これと。
質問リストの中に、この2つだけはタイミングをはかりながらぶつけないといけないんだろうなと思っていたことがある。誤解を解く意味でも。
「藤浪の話を聞きたい」米アリゾナへ
成田からロサンゼルスまで飛行機で約12時間、そこからはレンタカーで7時間ほどかけて東へ約600km移動した。
メキシコとの国境に接しているアリゾナ州は巨大なドライヤーで熱されているかのような町だ。年間30日から40日程度しか雨が降らず、冬であっても最高気温は30度近くまで上昇する。ただ、乾燥しているため、空気は軽い。荒涼とした黄土色の大地がどこまでも続き、時折見かける巨大なサボテンは貴重な緑だ。
アリゾナは現在、西海岸の球団を中心にメジャー30球団中、15球団がキャンプ施設を構えている。目指したのはアリゾナにあるキャンプ施設のうちの1つ、ピオリア・スポーツ・コンプレックスだった。ここはシアトル・マリナーズとサンディエゴ・パドレス2球団によって使用されていて、実に12面もの練習グラウンドを備えていた。
アメリカの野球と日本の野球の違い。それは何よりもまず色だ。呼吸をどこまでも深くしてくれるような緑の芝と、憧憬をかき立てるような煉瓦色の土。選手たちが練習している間、施設と施設の間の芝の上では、見学に訪れた大人や子どもたちがそこかしこでキャッチボールに興じていた。
昼の12時を過ぎると選手たちは次々とクラブハウスに引き返していく。メジャーのキャンプは午前中のうちに練習が終わってしまうのが通例だ。
なぜ藤浪を取材したかったのか
私と編集者は、アットランダムに選んだ練習グラウンドのバックネット裏に建てられた小さなスタンドのベンチに腰をかけ、取材相手を待つことにした。