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大谷翔平「じつは落選していた」楽天ジュニアのセレクション…そのエースだった“仙台の天才”は何者か「彼の剛速球で捕手が骨折」「仙台育英に進学」
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byJIJI PRESS
posted2024/07/07 11:00
ドジャースでプレーする「野球史上最高の選手」大谷翔平
渡辺の名前が強く印象に残ったのは、三浦拓実に話を聞いていたときだった。
三浦は2012年春、宮城県の石巻工業が21世紀枠として甲子園に出場したときのエースだ。その前年、東日本大震災で石巻は壊滅的な被害を受けた。石巻工業のグラウンドも津波が押し寄せ、野球用具はすべて流されてしまった。それから1年後の快挙だったため、大きな話題になった。
三浦は石巻中央シニア時代も、石巻工業時代も大谷翔平と対戦したことがある。中学時代の印象は「うーん、まあ……」という程度だったという。ところが高校1年の秋に練習試合で対戦したときは「もう、オオタニサンでした。別人」と感嘆した。
その三浦が大谷を語るとき以上の熱量で絶賛した選手がいた。それが小学校時代に目撃した渡辺だったのだ。
宮城県にはジャンボ大会という大きな少年野球の大会がある。宮城県を中心に学童野球チームが一堂に会し雌雄を決する。当時は300近いチームがエントリーする文字通りジャンボな大会だった。
渡辺の目撃者「絶望しました」
三浦が所属する石巻小レッドベンチャーズは2006年、彼が小学6年生のときに同大会のベスト4まで勝ち進む。レッドベンチャーズは強いと評判のチームでもあった。そのレッドベンチャーズが準決勝で対戦したのが「3番・エース」の渡辺が牽引する荒浜ビックウェーブだった。三浦が思い出す。