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大谷翔平「じつは落選していた」楽天ジュニアのセレクション…そのエースだった“仙台の天才”は何者か「彼の剛速球で捕手が骨折」「仙台育英に進学」
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byJIJI PRESS
posted2024/07/07 11:00
ドジャースでプレーする「野球史上最高の選手」大谷翔平
「僕らコールドだか大差だか、とにかくすごい点差で負けたんです。渡辺には最初の打席、ホームランだかスリーベースを打たれたんですけど、打球が速くて。高校で大谷を見たときぐらい『すっごー』って感じでしたね。『俺らってすごいんじゃね』くらいの感じで田舎から仙台の大会に出て行って、もう、ぜんぜんすごくなかったなっていう。あのときは絶望しましたね」
仙台市の海岸沿いに位置する荒浜はとても小さな街だ。小学校は各学年とも1クラスしかなく、荒浜ビックウェーブは全学年合わせて14人しかいなかった。打球を捕ることができる選手から優先的にポジションを与えられた。2番と5番は女の子で、4番まででとにかく点を取るというスタイルだった。渡辺はこともなげに言う。
「(当時の自分は)どえらい球を放ってたんで。6年生になったときに覚醒したんですよ。初戦はコールド(ゲーム)だったんですけど、全員、三振でした。真っ直ぐだけで。ファウルで1回、当てられただけだった気がしますね」
渡辺の球を受けた捕手「骨折していた」
軟式ボールを使用する学童野球は故障を防ぐ観点から原則、変化球を投げることは禁じられている。また、ピッチャーズプレートと本塁の距離は通常は18.44メートルだが、学童野球の高学年の場合は16メートルしかない。渡辺が続ける。
「球速は120キロは超えていたと思います。なので、体感でいくと130キロ以上ぐらいだったかもしれません」
渡辺の剛速球を受け続けた1学年下の捕手は軟式の柔らかいボールだったにもかかわらず、ミットをはめた手の親指の付け根を疲労骨折したことがあるという。
〈つづく〉