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「じつは私、巨人のスカウトなんです」内海哲也でも西村健太朗でもなく…実家の居酒屋に通い詰めるほどホレた左腕とは《2003年ドラフト裏話》
posted2025/04/08 11:04

2000年代から2010年代にかけて巨人救援陣の核となった西村健太朗。高校時代のドラフト裏話とは
text by

長谷川国利Kunitoshi Hasegawa
photograph by
JIJI PRESS

《2003年 巨人で感じた横浜との違い》
巨人スカウトの“低かった意識”とは
この年の1月から巨人のスカウトとして活動することになりました。ありがたいことに最初から「社員」という形で契約いただきました。原監督からは「俺たちも1年勝負なんだから、国利もそれでいいだろ?」と言われましたが、監督とはもらっている金額が大分違うんですけどね(笑)。
狭い世界ですから横浜時代に起こった東海大・久保に関する一件の話は他球団にも広がっており、スカウト仲間からは「あんなことをされたら現場の担当はやってられないよな」と同情するような声もかけていただきました。他球団のスカウトは競争相手でもありますが、現場で会えば当然色んな話もしますし、食事に行ったりすることもあります。そういう繋がりはありましたから、私の巨人への移籍についても理解を示してくれていた方が多かったと思います。
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巨人で担当することになったのは主に関東地方でしたが、現場に出て思ったことがありました。それは巨人のスカウトは選手を“獲るために見ている”という意識が低いということでした。ピッチャーが何キロを投げる、一塁まで何秒で走るみたいなことは一生懸命に数字をとるものの、それ自体が目的になっているように感じたのです。横浜時代に巨人と選手の獲得競争になった時が何度かありましたが、正直怖くありませんでした。横浜のスカウトの方がその選手を「獲るんだ!」という意識が強かったですし、我々の方が早く動いて関係者とも深い関係性を築いていましたから。
早々に決まっていた内海の自由枠
原監督もそういったことを薄々感じられていたようで、「気がついたことを言ってほしい」と言われていました。
ちなみに原監督は誰を獲ってくれ、誰が欲しいなどとあまり言うタイプの監督ではありませんでした。もちろん「こういうタイプの選手が欲しい」ということや、気になった選手に対する質問はありましたが、あくまでもスカウトの意見を尊重してくれる監督でした。
自由枠という制度がまだあったこの年は、敦賀気比時代に巨人入りを希望してオリックスの1位指名を拒否していた東京ガスの大型左腕、内海哲也を自由枠で指名することがかなり早い段階から決まっていました。