プロレス写真記者の眼BACK NUMBER
アントニオ猪木は「とてつもなく大きな岩」だった…藤波辰爾68歳がリングに上がり続ける理由「猪木さんが旅立って、逆に引けなくなった」
posted2022/11/20 17:07
text by
原悦生Essei Hara
photograph by
Essei Hara
熱かった長州力との“名勝負数え歌”が終わった後、1985年11月、藤波辰巳は『マッチョ・ドラゴン』をリリースした。カルト的な人気を集めた同楽曲を、藤波は『1オクターブ上の音楽会』(NHK)で37年ぶりに披露。9月に番組が放送されると、SNSに大きな反響が広がった。
「Twitterでトレンド入りしましてね(笑)。大変でしたよ。反響があまりにも大きすぎてね」
藤波は照れくさそうに笑った。
伝説の楽曲『マッチョ・ドラゴン』再演のウラ側
「あの頃の新日本プロレスも話題作りに懸命でした。当時、女子プロレスラーはよく歌っていて、全日本ではジャンボ鶴田もギターを手に歌っていた。自分の歌の実力は知っているけれど、会社の後押しがあったから、打診されたらその気になっちゃってね(笑)。編集でいいところだけつないでも、あんな感じでした。プロモーションビデオは97、8キロの時かな。筋肉バリバリでメイクしながら歌ったなあ。怪しげなダンスもね(笑)」
以来、『マッチョ・ドラゴン』はたびたびプロレス通や音楽好きの間で話題に上がってきた。山下達郎が自身のラジオ番組でプレイしたこともあったようだ。
「芸人のユリオカ超特Qがモノマネで歌っていましたね。カラオケにもあるし、なんとなくイジりやすかったんじゃないかな。息子の怜於南(LEONA)にも『お父さん、オイシイね。50周年だからやりましょうよ。ファンに対してのプレゼントだから』って言われて。でも、練習のしようがないんです(笑)。当日は収録に2時間くらいかかりました。生演奏で、歌詞も覚えていないし、カンペを書いてもらっても、歌の入り方がわからない。合図してもらわないと。さらにダンスもするので。みなさんに申し訳なかったですね……」
NHKのスタッフによると、クラブで流れていた1980年代のプレイリストの中に『マッチョ・ドラゴン』があったという。原曲はエディ・グラントの『Boys in the Street』だ。話題は『マッチョ・ドラゴン』から、カラオケの話へと移行した。