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「まだ実感がないんです」藤波辰爾が語るアントニオ猪木の思い出と“新日本プロレス創成期”「馬場さんと猪木さんは兄弟のように…」

posted2022/11/20 17:05

 
「まだ実感がないんです」藤波辰爾が語るアントニオ猪木の思い出と“新日本プロレス創成期”「馬場さんと猪木さんは兄弟のように…」<Number Web> photograph by Essei Hara

2022年7月29日、故・アントニオ猪木さんと藤波辰爾が最後に会った日。筆書きのサインを手に記念撮影を行った

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原悦生

原悦生Essei Hara

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Essei Hara

2022年10月1日、“燃える闘魂”アントニオ猪木が79歳でこの世を去った。その付き人からプロレスラーとしてのキャリアをスタートし、68歳になった現在もリングに上がる“ドラゴン”藤波辰爾にロングインタビューを敢行。前編では、亡き師匠への思いと、激動の新日本プロレス創成期について語ってもらった。(全3回の1回目/#2#3へ)

 藤波辰爾の“50周年”は新型コロナウイルスの影響で2年を超える長丁場になってしまった。12月1日、国立代々木競技場・第二体育館で、藤波はその締めくくりとして棚橋弘至とシングルマッチを戦う。そんな藤波に、師匠・アントニオ猪木の死が襲いかかった。藤波は猪木さんへの思いを熱く語り始めた。

藤波辰爾が語る「猪木さん」最後の思い出

 10月14日、アントニオ猪木の告別式の日、藤波辰爾は故人の骨をしっかりと拾ってきた。付き人時代から50年以上もずっと猪木さんを見てきた男は、最後まで付き人の役割を果たした。

 にもかかわらず、藤波は「まだ実感がない」という。その気持ちはなんとなく理解できる。関係があまりに長く、そして濃密だったから余計にそうなのだろう。

「猪木さんは食べるのが好きでした。亡くなる約2カ月前、自宅で最後に会った時も『ウナギ食べたい』って。豚足も大好きでしたね」

 藤波は7月29日、猪木さんを訪ねてきた。たまたま筆者も居合わせていてドアを開けたから、藤波もびっくりしたことだろう。

「猪木さんに『お前の50周年の最後の試合、12月何日だっけ』って確認されました。その日、もし猪木さんの調子が良ければ、会場に来てもらってリングにスロープをつけて、僕が車いすを押して猪木さんにリングに上がってほしかった。生の猪木さんをファンに見てほしかったんです」

 元気だったように見えた猪木さんが、それから1カ月で急激に消耗してしまったことに、藤波はショックを隠せなかった。

 その日、藤波は猪木さんにサインをねだった。YouTubeで目にした、リハビリで書いた筆のサインがどうしてもほしかったからだ。

 藤波が猪木さんのサインをほしいと言ったのは2回目だった。

「結婚してすぐの頃、大阪のABCテレビで家内と出ていた番組があって、そこに猪木さんがゲストできてくれた。収録中、目の前でサインをもらいました。『藤波君』って書いてもらって、それは今も大阪の両親の所にあります」

【次ページ】 「馬場さんと猪木さんは兄弟のように仲が良かった」

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