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アントニオ猪木は「とてつもなく大きな岩」だった…藤波辰爾68歳がリングに上がり続ける理由「猪木さんが旅立って、逆に引けなくなった」 

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原悦生

原悦生Essei Hara

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posted2022/11/20 17:07

アントニオ猪木は「とてつもなく大きな岩」だった…藤波辰爾68歳がリングに上がり続ける理由「猪木さんが旅立って、逆に引けなくなった」<Number Web> photograph by Essei Hara

68歳になっても現役を続ける藤波辰爾。12月1日の棚橋弘至とのシングルマッチに向けて、アントニオ猪木から受け継いだ闘魂を燃やしている

藤波辰爾にとっての猪木は「とてつもなく大きな岩」

 猪木との対決は「切ない試合」だと藤波は語る。

「東京体育館(1985年9月19日)でのシングルも、横浜文化体育館(1988年8月8日)での時もそう。新日本プロレスが危機的な状況の時にシングルでぶつかる運命だったんでしょう。猪木さんとオレの試合は切ない試合だね。お互いの気持ちはわかっているのに、確かめるような……。原点に戻すというか、戦うことは言葉よりもわかりやすい。結果、また、会社がひとつにまとまった」

 筆者には「藤波に猪木さんを押さえ込んでほしかった」という思いがあった。

「長州も何回か猪木さんをフォールしている。天龍(源一郎)だって猪木さんをフォールしたし、天龍は馬場さんもフォールしている。僕だけはシングルで猪木さんをフォールしていない。僕がIWGPのチャンピオンで猪木さんが挑戦者。でも、猪木さんは僕だけには譲らない。猪木さんがヤキモチを焼くことはないだろうけれど、『こいつ全部持ってやがる』とスキを作らなかった。横浜で60分が(引き分けで)終わっても、猪木さんはオレの上に乗っかっていた。意地があったんでしょうね。そう、意地悪ジジイですよ(笑)」

 藤波は猪木をよく理解していた。

「猪木さんの付き人だから、わかりますよ。この人ともう話をしたくないのかな、サインをしたくないのかな、逆にサインしたいのかな、周りにアントニオ猪木をアピールしたいのかな……。一緒にいるだけで、その雰囲気がわかった。そういうときは、僕は一歩引いて猪木さんにファンが群がるようにしていました」

 藤波辰爾にとって、アントニオ猪木とはいったい何だったのだろうか? こんな漠然とした質問をぶつけてみた。

「とてつもなく大きな岩だね。みんな、そこを目印にして集まってしまう。嵐のときは、風よけになる。何かあったら、その岩が受け止めてくれる」

 藤波の社長時代、新日本プロレスが会社としての方針を決めても、夜中に猪木から電話がかかってきて否定されてしまうこともあった。

「自分自身が猪木さんから顔をそむけたところかもしれない。反逆じゃないんだけれど、自分たちで『こういうことをやりたい』という部分と、オーナーの猪木さんが引退した立場で見たときに『こんなんじゃないんだよな』と感じた部分。猪木さん流の考え方で、プロレスの行く末を心配していたからこそ、あえて横やりを入れて、引き締めてほしい、と思ったんでしょうね。K-1や総合格闘技に絡んでみたりもしていたけれど、それでも新日本のことは常に気になっていたでしょう」

【次ページ】 藤波辰爾、68歳の覚悟「逆に引けなくなった」

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