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アントニオ猪木は「とてつもなく大きな岩」だった…藤波辰爾68歳がリングに上がり続ける理由「猪木さんが旅立って、逆に引けなくなった」

posted2022/11/20 17:07

 
アントニオ猪木は「とてつもなく大きな岩」だった…藤波辰爾68歳がリングに上がり続ける理由「猪木さんが旅立って、逆に引けなくなった」<Number Web> photograph by Essei Hara

68歳になっても現役を続ける藤波辰爾。12月1日の棚橋弘至とのシングルマッチに向けて、アントニオ猪木から受け継いだ闘魂を燃やしている

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原悦生

原悦生Essei Hara

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Essei Hara

2022年10月1日、“燃える闘魂”アントニオ猪木が79歳でこの世を去った。その付き人からプロレスラーとしてのキャリアをスタートし、68歳になった現在もリングに上がる“ドラゴン”藤波辰爾にロングインタビューを敢行。後編では、SNSで再脚光を浴びた楽曲『マッチョ・ドラゴン』にまつわるエピソードと、時代を追うごとに変化していった師匠・猪木との関係性について話を聞いた。(全3回の3回目/#1#2へ)

 熱かった長州力との“名勝負数え歌”が終わった後、1985年11月、藤波辰巳は『マッチョ・ドラゴン』をリリースした。カルト的な人気を集めた同楽曲を、藤波は『1オクターブ上の音楽会』(NHK)で37年ぶりに披露。9月に番組が放送されると、SNSに大きな反響が広がった。

「Twitterでトレンド入りしましてね(笑)。大変でしたよ。反響があまりにも大きすぎてね」

 藤波は照れくさそうに笑った。

伝説の楽曲『マッチョ・ドラゴン』再演のウラ側

「あの頃の新日本プロレスも話題作りに懸命でした。当時、女子プロレスラーはよく歌っていて、全日本ではジャンボ鶴田もギターを手に歌っていた。自分の歌の実力は知っているけれど、会社の後押しがあったから、打診されたらその気になっちゃってね(笑)。編集でいいところだけつないでも、あんな感じでした。プロモーションビデオは97、8キロの時かな。筋肉バリバリでメイクしながら歌ったなあ。怪しげなダンスもね(笑)」

 以来、『マッチョ・ドラゴン』はたびたびプロレス通や音楽好きの間で話題に上がってきた。山下達郎が自身のラジオ番組でプレイしたこともあったようだ。

「芸人のユリオカ超特Qがモノマネで歌っていましたね。カラオケにもあるし、なんとなくイジりやすかったんじゃないかな。息子の怜於南(LEONA)にも『お父さん、オイシイね。50周年だからやりましょうよ。ファンに対してのプレゼントだから』って言われて。でも、練習のしようがないんです(笑)。当日は収録に2時間くらいかかりました。生演奏で、歌詞も覚えていないし、カンペを書いてもらっても、歌の入り方がわからない。合図してもらわないと。さらにダンスもするので。みなさんに申し訳なかったですね……」

 NHKのスタッフによると、クラブで流れていた1980年代のプレイリストの中に『マッチョ・ドラゴン』があったという。原曲はエディ・グラントの『Boys in the Street』だ。話題は『マッチョ・ドラゴン』から、カラオケの話へと移行した。

【次ページ】 変化した猪木との関係性「試合前に突然、殴られて…」

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