“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
南野拓実、中島翔哉が聞いた大合唱。
震災後のU-17W杯で体験した「世界」。
posted2020/04/15 11:50
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
MEXSPORT/AFLO
「日本、大変なことになっているね。大丈夫なのか、家族は無事なのか」
2011年6月、メキシコ北部にあるモンテレイ市内を移動中、タクシー運転手にこう話しかけられた。
この年の3月、日本を未曾有の大災害が襲った。ニュースは日本から離れた遠いメキシコの地まで、全世界に伝わっていた。心配そうな表情の運転手としばらく会話を続けると、車内ではそれを図ったかのように原発事故のニュースが流れた。運転手は車内のテレビ画面を指差し、こう声をかけてくれた。
「本当になんて言っていいかわからないけど、頑張ってくれ。俺は、君も日本チームも応援しているよ」
彼の言う「日本チーム」こそ、メキシコが開催されたU-17W杯に出場する日本代表のことを指していた。
南野、中島、植田、武蔵、室屋、喜田……。
1994年1月1日以降生まれで形成された「94ジャパン」。その顔ぶれは今振り返るとかなり豪華なものだ。
南野拓実(リバプール)を筆頭に、鈴木武蔵(北海道コンサドーレ札幌)、MF中島翔哉(ポルト)、喜田拓也(横浜F・マリノス)、石毛秀樹(清水エスパルス)ら豪華なアタッカー陣に加え、アンカーを務めた深井一希(札幌)、CBでコンビを組んだ岩波拓也(浦和レッズ)、植田直通(セルクル・ブルージュ)、サイドバックには室屋成(FC東京)、GKは中村航輔(柏レイソル)と守備陣にも錚々たるメンバーが揃っていた。
彼らを指揮したのは元数学教師という異色の経歴を持つ吉武博文監督だ。4-1-2-3でポゼッションサッカーを掲げたが、ポジションの呼び方や役割は当時からすればオリジナリティあふれるものだった。1トップは「ゼロトップ」と呼ばれ、前線のフリーマン的な役割を担う。2シャドーの「フロントボランチ」、ウィングの「ワイドトップ」を起点にペナルティーエリア内で数的優位を作り、GKも参加するビルドアップからゴールを奪っていく。そんな特異なスタイルだった。