格闘技PRESSBACK NUMBER
「涙が出ました」大規模水害で一軒家は解体…被災した“あのアイドルレスラーの今” 引退後の福岡晶(54歳)を救った“先輩・井上貴子の気遣い”
posted2025/04/16 11:02

ジャパン女子プロレス、JWPで活躍したアイドルレスラー・福岡晶のインタビュー(最終回)
text by

伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph by
Shiro Miyake
地元の秋田県に移り住んで26年がたった。ご主人はJR秋田駅近くで焼肉屋「留り木」を営むオーナーシェフ。ひとり息子はすでに親元を離れて、東京でヘアスタイリストになる夢をかなえている。「宮本」家はおととし、秋田県内を襲った集中豪雨によって甚大な被害に遭った。それでも凛々しく明るく、ポジティブに生きる愛称・ひーちゃんに迫った。
◆◆◆
プロレスは「10年間でやめる」と決めていた
福岡 引退(99年)する前にいまの主人と付き合ってはいたけど、結婚したいから引退したわけじゃないんです。タイミング的にそう思われがちだけど、私はプロレスをやる前から「10年」って決めてて、10年間は辞めないけど、10年後に辞めるっていう人生設計を立てていたんですね。ケガではないし、寿引退でもないけど、辞めた年の秋に結婚してるから、誤解されたけど、自分としては決めた目標どおりに進んでいて、1ミリもずれてない。89年の3月に入寮して、99年の3月に引退して。
ADVERTISEMENT
――引退後は、どうしたんですか。
福岡 愛犬と住んでた目黒のマンションを引き払って、千葉の市川の姉夫婦のところに居候させてもらって、5月に(秋田に)帰ってきました。主人と最初は、賃貸で新築のアパートを借りて。主人は2歳下で、21歳ぐらいからアームレスリングで全日本や県大会などいろんな大会に出てた人。あのころって、10月10日が体育の日だったでしょ。自分たちらしくスポーツに関わる日にしようかということで、その日に結婚しました。交際期間は1年ぐらいかな。
――ご長男が誕生したのは。
福岡 次の年の2000年。私が30歳のときですね。
――ということは、今年25歳ですね。
福岡 そうだけど、子育てはついこのあいだ終わったぐらいの感覚ですね。専門学校まで行かせて、そのお金を出してるのはこっちだから。専門学校ってね、意外とかかるんですよ。いまはちゃんとヘアスタイリストになれてますけどね、東京で。
秋田で夫婦生活を直撃した災害
――引退後は、ご夫婦で焼肉屋を経営していると聞いていたけど。
福岡 店は、ずっと昔から主人が義母とやっている歴史ある焼肉店で、出産するまでは私も手伝ってました。結婚する前から主人は、「店に立たなくてもいいよ」って言ってくれてたんで、出産してからは専業主婦で子育てに専念してました。息子が小さいときは誰かに面倒を見てもらうということがほとんどなかったから、どこに行くにも、どんなタイミングでも連れて行ってました。変な話、息子が1歳と数カ月のときにはまだパチンコ・パチスロが好きだったんで、背負ってでも行ってて。
――なるほど。ちょっとつらいことを思い出させてしまうかもしれないけど、2023年7月に秋田県内が見舞われた集中豪雨でお住まいが被害に遭ったんですって?