“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
南野拓実、中島翔哉が聞いた大合唱。
震災後のU-17W杯で体験した「世界」。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byMEXSPORT/AFLO
posted2020/04/15 11:50
南野(9番)らが挑んだ2011年U-17W杯。準々決勝でブラジルに惜敗するも、会場には「ハポン」コールが鳴り響いた。
「世界というものを教えてもらった」
試合後、再びあの横断幕を持って場内を一周した。いつまでも響く割れんばかりの拍手と「ハポン」コールへの感謝を表すためでもあった。泣きながら手を振り、何度もスタンドを見回した。
「悔しかったけど、あの光景は初めてだったし、いろんな意味で世界というものを教えてもらった。あの大合唱は本当に鳥肌が立ちました」
南野はミックスゾーンで目を真っ赤にしながらこう語った。中島もまた「ワンプレー、ワンプレーで観客が凄く沸いてくれたし、プレーしていて楽しかった。悔しいけど、世界でプレーしたい気持ちが強くなった」と刺激的な時間を振り返った。
色あせないメキシコの景色。
日本サッカー界としては初となるU-17W杯ベスト4進出は叶わなかったが、「94ジャパン」がメキシコで残したインパクトは絶大だった。たくさんの「ハポン」コールを受けた少年たちは、現在、Jリーグにとどまらず、世界をまたにかける活躍を見せている。
今でもあの当時の選手を取材すると、必ずメキシコの話になる。
鈴木は「懐かしいですね。やっぱりメキシコで経験したことはとてつもなく大きな財産になっています。世界が一変したし、人間的にも大きな成長につながった」と話せば、早川も「本当に凄かったですよね。ピッチから360度満員のスタンドを見て、地鳴りがするような歓声と日本コール。負けて悔しい気持ちがあるのに、あんなに鳥肌が出たのは初めてでした。本当に忘れられない光景です」と懐古する。
9年前、メキシコの地で感じたフットボールの素晴らしさと「ハポン」の大合唱。再びあの素晴らしい瞬間に立ち会えるように、彼らは今やれるべきことに向き合い、走り続けている。
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