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優勝目前で阪神フロントがまさかの「勝ってくれるな」発言…甲子園でファン3000人“暴徒化”、巨人ベンチ襲撃事件「阪神ファンのトラウマが始まった日」
posted2023/11/04 17:43
text by
近藤正高Masataka Kondo
photograph by
KYODO
今年流行語になった岡田彰布監督の「アレ」。じつはオリックス時代に使い始めた「アレ」がなぜ阪神で流行ったのか? ここでは、阪神ファンがトラウマになった“まさかの失速”4選をたどっていく。最終回は1973年編。【全4回の4回目/#1、#2、#3へ】
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阪神ファンのトラウマ…1973年“大失速”とは?
阪神が絶好調でいくら優勝に手が届きそうになっても、実際にその瞬間が来るまではけっして油断できない。そんな阪神ファンのトラウマは、ずっとたどっていくと半世紀前の1973年のシーズンに行き着く。
1985年、21年ぶりの優勝を目前にしたときも、ファンは心穏やかではなかったらしい。阪神ファンであるスポーツライターの玉木正之が当時、雑誌に発表した落語仕立てのコラムにも、そのときのファンの心情を反映した次のようなセリフが出てきた。
《あんた、昭和四十八年の、あと一勝で優勝いうときに、タイガースがコロッと負けてしもたことを、まさか忘れてしまわはったんやおまへんやろな。マジック少のうなったさかいにいうて、このまんま優勝やなんて、ようそないなことを、気安う書けまんなあ》(玉木正之『タイガースへの鎮魂歌』河出文庫、1991年。初出は『現代』1985年11月号)
10月に首位に立ったのに…
1973年のセ・リーグは、前年までにV8を達成していた巨人が前半で出遅れたこともあり、首位がめまぐるしく変わる大混戦となった。それでも巨人は後半、エース・堀内恒夫が復調するとともに、主砲・王貞治の打撃が爆発(王はこのシーズン、自身初の三冠王を獲得する)してスパートがかかり、8月31日の阪神戦で勝って首位に立つと、9月25日にはマジック13が点灯する。このまま巨人の独走かと思われたが、そこへ急浮上したのが阪神だった。
阪神は9月に入ってから22日まで5勝10敗で5位にまで転落していた。しかし、そこから7連勝、さらに1敗を挟んで3連勝して巨人に0.5ゲーム差まで追い上げる。そうして迎えた10月10日・11日の巨人との直接対決(後楽園球場)では、激闘が繰り広げられた。