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「話に混ざりてぇけど、混ざれねぇ」「野球の名門校ばっかりで」母校は県下屈指の進学校…異色キャリアの監督が“甲子園通算30勝”達成までの波乱万丈

posted2025/03/25 06:02

 
「話に混ざりてぇけど、混ざれねぇ」「野球の名門校ばっかりで」母校は県下屈指の進学校…異色キャリアの監督が“甲子園通算30勝”達成までの波乱万丈<Number Web> photograph by Genki Taguchi

甲子園通算30勝を達成した福島・聖光学院の斎藤智也監督。いまでは甲子園の常連だが、当初は様々な葛藤もあったという

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田口元義

田口元義Genki Taguchi

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 開催中のセンバツで甲子園通算30勝を達成。福島の強豪・聖光学院の斎藤智也監督が、過去17人しか成し遂げていない節目の数字に到達した。実はそのキャリアを振り返ってみると、いわゆる「高校野球指導者」の中では異例の経歴だ。異色の名伯楽は、いかにして誕生したのか。《NumberWebインタビュー全2回の2回目/最初から読む》

 県下有数の進学校である福島高出身の斎藤智也は、選手として甲子園出場経験はない。当時、卒業後の目標は「筑波大学を出て公立校の体育教師になる」ことだった。

 ところが、ここで斎藤の人生に大きな転機が訪れる。

 筑波大の推薦を得られず、地元の国立大である福島大の受験にも失敗したのだ。

13年に渡る下積み生活…ようやく監督に

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 結局、仙台大を経て地元・福島の聖光学院へと赴任し野球部の部長となったが、13年間も下積みを経験した。1999年の秋にようやく監督になれたものの、学校側から提示された条件は「3年以内に甲子園」と厳しいものだった。

 それでも、斎藤は難題をクリアした。

「不動心」を掲げて地元の選手を鍛え上げ、2001年の夏に聖光学院を初の甲子園出場へと導いた。そこから、毎年のように全国の舞台に立つまでにチームを成熟させていくのである。

 高校野球で名を上げる。

 その過程でちょっとしたコンプレックスが斎藤に芽生えたこともあった。

 進学校は出ているが、野球エリートではない。だからこそ、甲子園に出るたびに高校野球界の“学閥”に肩をすぼめる自分がいた。

「監督のみなさんは選手でも甲子園に出てたり、出身校だって早稲田、慶応、東海、日大って野球の名門校ばっかだもんね。俺は野球学校の出身じゃないから、経歴で言うとひもじい想いはしたかもしんないね」

【次ページ】 甲子園の名将たちに圧倒された監督初期

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