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「WBC後遺症」と戦う侍投手陣のリアル…ヤクルト・石井弘寿コーチは「感覚のズレは数値にも出ている」自身は第1回大会のケガで手術
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph byNaoya Sanuki
posted2023/05/01 11:01
激戦に次ぐ激戦を制した侍ジャパン。戦いの代償を最小限にするためにもプロ野球の現場は試行錯誤している
WBC直前、突如覚えた左肩の違和感
2006年の第1回WBC。2月下旬に行われた福岡での事前合宿中に、石井コーチは左肩に違和感を覚えた。肩を動かす動作の途中で痛みや引っ掛かるような感覚になる「インピンジメント」の症状だった。普通ならば1週間以上は肩を休ませなければいけないが、痛み止めを飲み、壮行試合に登板した。
「予備メンバーもいなかったですし、痛くなったから辞めますと言って誰かが代わりに入ってこられる状況ではなかった。背負っていたものもありました。王(貞治)監督から『必要だから来てほしい』と直接声をかけていただいたことが本当に嬉しかったし、代表として戦える喜びがありました」
必死に治療して注射、座薬も打って大会を迎え、3月5日の第1ラウンド韓国戦に登板。2-1と日本がリードした8回からマウンドに上がり、韓国の主砲・李承燁にツーランホームランを打たれ逆転負け。この時点で強烈な痛みが襲ってきていたが、それを押して第2ラウンドが行われるアメリカ入り。しかし、結局回復することはなく、アメリカ戦を前に途中離脱し、無念の帰国となった。
「あの時に戻ってストップをかけられるとしたら、福岡での練習試合の前に止めていたと思います。シーズン中に軽いインピンジメントが起こった時も1、2週間、投球の間隔をを空ければ元に戻っていたし、さらに痛み止めを入れて無理に投げたことで余計に悪化したところもあると思う……」
同年のオフに左肩を手術し、長いリハビリ生活に入る。07年シーズン以降は2011年10月の引退登板まで一軍登板はなし。事実上、WBCの怪我によって選手生命が絶たれた形となった。実はこの石井コーチの事案をきっかけにWBC出場時の補償制度が議題となり、第2回大会以降の公傷については保険金が支払われるようになったという。
「それも自分で選んだ道だし、自分で強くやめたいと思ったら(投げるのを)やめることだってできた。WBCに出場したことには後悔はないです。その前に(04年アテネ)オリンピックで日の丸を背負ってみて、本当に色々な世界を見ることができたんですよ。緊張感が全然違うし、一発勝負だしね。ワンプレー、1球がこんなに重いんだなということも味わえた。その後に声をかけてもらったので、なおさら光栄なことだと思っていました」