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「原監督も気に入って」坂本勇人より優先した“二岡智宏の後釜候補”ドラ1の名は…「巨人が必ず指名しますから」元スカウトが明かすドラフト裏話
posted2025/04/14 11:00

巨人の長年の顔として君臨する坂本勇人。「外れ1位」で入団したことで、スター街道を歩み始めた
text by

長谷川国利Kunitoshi Hasegawa
photograph by
Kiichi Matsumoto

《2006年 直前まで意見が割れた、外れ1位坂本勇人》
原監督が高く評価した堂上直倫
原さんがこの年から3年ぶりに監督として復帰することになりました。スカウト部長も末次さんから山下さんに変更になり、原監督、清武球団代表兼編成本部長、山下スカウト部長という体制になりました。
この頃、原監督と清武さんに呼ばれ「横浜から巨人に来て感じたことを教えてほしい」と言われたことがありました。そのときに私が話したのは、担当エリア以外の選手も視察に行くスカウトのクロスチェックとアマチュア側との関係構築についてでした。この頃は北海道や東北地方には今程有力な選手もおらず、担当地区内だけで効率よく選手を見て回ることができませんでした。
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また、自分の担当地区に良い選手がいたとしても他の地区の選手と比べてみないことにはその選手が全国レベルで見てどうなのか判断することも難しくなります。横浜時代はそれが上手く機能していたことを話すと、しばらくして巨人でもクロスチェックが行われるようになりました。また、それまでの巨人では偉い方がアマチュアの現場に顔を出すことはほとんどなかったのですが、清武さんは現場によく顔を出してくれるようになりました。これによって巨人スカウトとアマチュア側の方とのお付き合いも増えたと思います。
二岡の後釜探し…父は元中日の投手だからこその対応
この年のドラフトでは30歳になっていたショートの二岡(智宏)の後釜を第一に考えていました。
そこで高校生ドラフトで狙ったのが愛工大名電の大型ショート、堂上直倫でした。甲子園でも活躍していましたし、関東遠征での東海大相模戦ではショートライナーくらいだと思った打球がそのままホームランという強烈な打球を目の当たりにしたこともありました。野手では一番という評価でしたし、原監督も堂上を気に入っていました。
堂上はお父さんが元中日のピッチャーで、この頃は中日の寮長をされており、お兄ちゃんも中日の選手。地元のサラブレッドを当然中日も狙ってくることは分かっていました。