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衝撃の“ドラフト指名漏れ”から3年…山田健太のいま「野球やめようかなと思いましたけど…」大阪桐蔭「最強世代」最後のプロ入りへ「何がなんでも」
posted2025/04/14 11:05

日本生命で活躍する元大阪桐蔭高の山田健太内野手
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佐藤春佳Haruka Sato
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Haruka Sato
大阪桐蔭で春夏3度の優勝を経験した山田は、立教大に進学する。六大学野球で1年春からレギュラーとして活躍し、4年間のリーグ戦では3割以上を4度もマーク。ベストナインに2度選出されるなど、神宮球場のスター選手として活躍した。順風満帆なキャリアにも見えるが、4年間の中では様々な試行錯誤があったのだという。
「桐蔭の時みたいに嬉しいことばかりではなかったので、その時にもう一度頑張ろうと乗り越える力は4年間で身についたと思います。チームではキャプテンをやったのですが、高校時代は中川や根尾がそういうところを担ってくれていたので、大学で初めてチームをまとめる大変さも知りました」
選ばれていた「幻の侍ジャパン」
全国から精鋭が集まり、「全国制覇」というただ一つの目標に集中していた大阪桐蔭とは違い、大学にはさまざまなレベルの選手が集ってくる。プロ入りや社会人野球を明確に目指す選手、そうではない選手。さまざまな目的と意識を持つ仲間をまとめるのは大変なことだ。
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「桐蔭の時と同じことやっても、一人で何言ってるんだ、って思われてしまいますしね。立教の良さとして、明るく前向きに野球をやろうというところがある。良いことなんですけど、その脆さも感じたので、そのバランスをとっていくのは難しかったです。自分のことだけでなく、周りを見てやることの大切さを学びました」
大学日本代表でも主将を務めた山田は、実は「幻の侍ジャパン」にも選ばれていた。2023年のWBCを見据えて行われる予定だった22年3月の台湾代表との練習試合で、当時の日本代表・栗山英樹監督がアマチュアから山田と日体大・矢沢宏太(現・日本ハム)の2人だけを抜擢していたのだ。
23年WBC世界一メンバーの中で…
試合はコロナ禍で中止となったが、のちに栗山監督が全選手の名前を明かしている。その顔ぶれは錚々たるもので、今永昇太(現・カブス)、村上宗隆(ヤクルト)、岡本和真(巨人)ら後のWBC優勝メンバーが10人も名を連ねていた。
「本当に嬉しかったです。嬉しかったけど……試合、やりたかったですね」