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「ムタと武藤を同時に撮りたい」カメラマンの無茶ぶりにグレート・ムタはどう答えた? 34年の歴史に幕、“悪の化身”が魅力的だった理由
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2023/01/25 17:00
1991年8月、筆者のカメラにポーズをとる若き日のグレート・ムタ。2023年1月22日、34年にわたるムタとしてのキャリアに終止符を打った
卒塔婆に血文字で記した「完」
引退試合で、ムタはスティング、新鋭のダービー・アリンと組み、白使(新崎人生)、新日本の同期であるAKIRA(野上彰)、ノアの丸藤正道と対戦した。WCW時代のライバルであるスティングとのタッグは、1992年1月の東京ドームで見た。当時はスタイナー兄弟が相手だった。1996年4月の同所での白使とのシングルマッチもよく覚えている。あの時、ムタは試合中、白使の血を使って卒塔婆に指で「死」と書いた。
ムタは緑の毒霧を白使に浴びせると、最後はシャイニング・ウィザード(閃光妖術)で3カウントを奪った。しかし、それだけでムタは終わらなかった。27年前の再現のように、真っ二つに折れた卒塔婆の先端を白使の額に突き刺し、その傷口の血をぬぐうと、指を筆代わりに使って日本映画のエンディングに出る字幕のように「完」と赤く記した。満足したようにムタはリングを降りた。そして花道の途中で、最後の赤い毒霧を吹き上げた。
「Thank you. Bye-Bye」
ムタはそう言い残して、魔界へと消えていった。
ムタにはどんな演出も許された
2002年11月、横浜アリーナでの「WRESTLE-1」のボブ・サップ戦も話題を呼んだ。2007年6月、埼玉スーパーアリーナのハッスルでは、インリン様(インリン・オブ・ジョイトイ)の股間に緑の毒霧を吹きかけたことによって、モンスター・ボノ(ボノちゃん=曙太郎)が誕生した。2008年12月には高田延彦の化身であるエスペランサー・ザ・グレートと戦ったこともある。
スキンヘッドになったムタはペイントだけではなく、特殊メイクのマスクもつけた。これでより異様さが増した。ムタにはどんな演出も許された。それはムタがムタだからだ。
全日本プロレスでは天龍源一郎、曙太郎とも戦った。IWGPヘビー、NWA世界ヘビー、三冠ヘビー、GHCヘビーと主要団体の看板タイトルをその腰に巻いた。ムタは神出鬼没だ。2018年3月のDDTでは、ムタとして最後のムーンサルトプレスまで見せた。
でも、すべては過去のことだ。もうムタがリングに帰ってくることはない。
そのシルエットを見ながら、いろいろなムタを思い出している。読者の皆さんにも、写真を通じて当時の記憶を掘り返していただければ幸いだ。「ああ、こんなムタもいたね」と。
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。