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武藤敬司が“アントニオ猪木の呪縛”を解いた…本人が語った「闘魂三銃士のストーリーは…」「ムタは本当に大変だったよ」〈引退発表〉
posted2022/06/21 11:00
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by
AFLO
「かつて『プロレスとはゴールのないマラソン』と言った自分ですが、ゴールすることに決めました。来年の春までには引退します!」
6月12日、さいたまスーパーアリーナで行われたプロレス4団体合同イベント「サイバーファイトフェスティバル2022」のリング上から、武藤敬司が2023年春までに引退することを発表した。
武藤は、長年ヒザに爆弾を抱え2018年3月には人工関節を入れる手術を行いながらも現役を続け、昨年は「プロレス大賞」で年間最高試合賞(2.12日本武道館、vs潮崎豪)を獲得するなど、プロレス界の第一線で闘い続けてきた。
しかし今年1月から左股関節唇損傷により長期欠場。5.21プロレスリング・ノア大田区総合体育館大会で復帰したが、自分の思うような動きができず、試合後「近々、報告することがあります」と意味深な言葉を残していた。
その後ノアから「6.12サイバーファイトフェスティバルで、武藤敬司選手から“大切なご報告”があります」というリリースがあり、さまざまな憶測が飛び交っていたが、この日、武藤自身の口から正式に引退が発表されたかたちだ。
覚悟はしていたもののやはりファンのショックは大きい。30年以上にわたり日本プロレス界のトップを走り続けてきた武藤だけに、幅広い世代に思い出がありすぎる。今回、そんな武藤の功績をあらためて振り返ってみよう。
猪木体制から新時代へ…主役となった闘魂三銃士
時代が昭和から平成に変わった頃、日本のプロレス界もガラリと変わった。新日本プロレスでは、平成元年(1989年)にアントニオ猪木が参議院議員選挙で初当選し、第一線を退いたのをきっかけに、旗揚げ以来続いた猪木体制が事実上終焉。90年代に入ると世代交代が一気に進み新時代を迎えた。そこで新たに主役となったのが、武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也の闘魂三銃士だ。
とくに90年4月27日、東京ベイNKホールでアメリカ遠征からの凱旋帰国試合を行った武藤敬司は、これまでの新日本にない明るく躍動感あるプロレスを展開。猪木時代とは違う、新時代の幕開けを感じさせた。以前、筆者がインタビューした際、武藤は凱旋帰国マッチについてこう語っている。
「NKホールでやった試合のことは、いまだによく憶えてますよ。蝶野と組んで、マサさん(マサ斎藤)と橋本が持っていたIWGPタッグのベルトに挑戦してね。赤いショートタイツ姿で入場して、コーナーに登って着ていたTシャツを客席に投げたんだよ。そういうパフォーマンスをやったのは、新日本では俺が最初だから。
それまで、みんな猪木さんと同じ黒のショートタイツで、“ストロングスタイル”を標榜して、試合もちょっと地味で暗かった。でも、俺はせっかくアメリカで修行してきたわけだから、アメリカンスタイルのベビーフェイスをやろうと思ってやったわけだけど、意外と度胸は必要だったよ。『こんなもの日本じゃ受け入れられるわけねえよな』って、思いながらやっていたから」