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「熱い、熱い試合をやろうぜ」武藤敬司が内藤哲也を引退試合の相手に指名したワケ…狙うは「ムタvs.中邑」超え、11年前の因縁も
posted2023/01/27 17:00
text by
原悦生Essei Hara
photograph by
Essei Hara
グレート・ムタが引退した前日の1月21日、新日本プロレスとノアは横浜アリーナで対抗戦を行った。それぞれの団体の人気ユニットであるロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンと金剛は、5対5のシングルマッチで勝負した。
2勝2敗で迎えたいわば大将戦のメインイベントで、内藤哲也は拳王にデスティーノで勝利した。
内藤は久しぶりに観客と「デ・ハポン」を叫んだ。
「武藤のコピー」と言われていた若き日の内藤
放送席には解説として武藤敬司がいたが、内藤はリングを降りて武藤に近づいて笑顔を見せた。内藤はそのまま花道を引き揚げようとしたが、武藤がリングに上がり内藤を呼び止めた。
「内藤! オレの引退試合の相手、来月、東京ドーム。オマエに決めた。熱い、熱い試合をやろうぜ」
「オレの答えはもちろん、トランキーロ! あっせんなよ。ただ、2月21日、予定空けておきますよ。今の内藤哲也を思う存分堪能してください」
内藤は前々から2月21日は空けてあると、参戦の用意をほのめかしていた。
11年前、2012年の1月4日。49歳の武藤敬司と29歳の内藤哲也は東京ドームで戦った。セミファイナルでの一騎打ちだった。
これは唐突に組まれたカードだった。当時の内藤には勢いがあった。同時にスタイルが似ていたため、「武藤のコピー」とも言われた。もちろん、多くのことが模倣から始まる。ここに他の要素がいいタイミングで加味されれば、化学反応が起こりブレイクできる。
父親がプロレス好きだった内藤は、小さいころから熱心にプロレスを見ていた。中学生の時、新日本プロレスの武藤を見て「プロレスラーになろう」と思ったという。
そんな憧れのレスラーと戦うことになるなんて、当時の内藤は考えもしていなかったようだ。事実、新日本を出ていった武藤のことは追っていなかった。
「戦うことのない人間だと思っていた。もう武藤はいらないんだよ、というのを見せつけたい使命感が湧いた」