ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
「紙コップに入れた小便を…」ベビーフェースの武藤敬司が“極悪非道”のグレート・ムタに目覚めた原点「初めてエクスタシーを感じたんだよ」
posted2022/08/30 17:00
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by
Essei Hara
来春の引退を発表し、7月からは「ファイナルカウントダウンシリーズ」をスタートさせている武藤敬司。プロレスリング・ノア9・3エディオンアリーナ大阪第1競技場大会では、“化身”であるグレート・ムタの「大阪ラストマッチ」が組まれ、新日本プロレスのグレート-O-カーンと初合体し、NOSAWA論外を加えたトリオを結成。拳王&征矢学&タダスケと対戦することとなった。
エディオンアリーナ大阪(当時・大阪府立体育会館)は、1990年9月7日にグレート・ムタが日本初登場をはたしたゆかりの場所。しかし、日本第1戦はムタにとって苦い思い出の試合でもあった。
その時の対戦相手はサムライ・シロー。武藤のアメリカWCW時代のキャラクターであるムタに合わせて、越中詩郎もメキシコ修行時代に使っていたリングネームで登場した“別キャラ対決”だった。
ムタの日本初戦、闘い方は“ほぼ武藤”だった
ムタが自身のテーマ曲『HOLD OUT』を和風にアレンジした新テーマ曲で忍者コスチュームに身を包んで登場すれば、サムライ・シローも羽織袴姿で登場。両者の入場シーンこそ大いに盛り上がったが、試合自体は無難な展開となり、大きなインパクトを残すことはできなかった。
じつは日本での武藤敬司とアメリカでのグレート・ムタのファイトスタイルはほとんど変わらない。ムタは顔面にペイントを施し、試合前に毒霧を吹き、忍者のコスチュームを着ているだけで、闘い方はほぼ“武藤”だった。
しかし、当時はYouTubeやインターネット配信などない時代。日本に「アメリカでの動くムタ」を観たことがあるファンはほとんどおらず、“未知の強豪”グレート・ムタの闘いぶりに注目が集まったが、蓋を開けてみれば“ほぼ武藤”であり、サムライ・シローに至っては“越中詩郎そのまま”だったため、ファンが肩透かしを食う結果となったのである。