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伊良部秀輝にヤンキース監督が強烈発言「プロ野球を辞めて別の仕事を探せ」追い詰められた伊良部の姿…マック鈴木との“伝説的投げ合い”ウラ側 

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水次祥子

水次祥子Shoko Mizutsugi

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posted2024/05/25 11:01

伊良部秀輝にヤンキース監督が強烈発言「プロ野球を辞めて別の仕事を探せ」追い詰められた伊良部の姿…マック鈴木との“伝説的投げ合い”ウラ側<Number Web> photograph by Getty Images

1999年5月7日、メジャーで初めて日本人投手が先発で投げ合った「伊良部秀輝vs.マック鈴木」伝説的試合の舞台裏

 ようやく再昇格したのはメジャーデビューから2年後の98年、選手登録枠が拡大する9月になってようやくだった。このときはメジャーで初めて先発として起用され、3度目の先発となった9月14日のツインズ戦で7回途中まで5安打3失点(自責点2)、8奪三振の好投でメジャー初勝利。昇格後の1カ月間で6試合に登板し1勝2敗、防御率7.18と苦戦はしたが、6試合中5試合で先発に起用されローテの一員となったことは、マックにとってはステップアップだった。

 そしてマリナーズ入団から6年目の99年、遂にメジャーに定着するチャンスが巡ってきた。開幕当初はリリーフとして起用されたが、5月から先発ローテ入り。奇しくもヤンキースタジアムでの伊良部との投げ合いは、マックにとってもそのシーズン2度目の先発マウンドだった。

「苦労人」マック鈴木の雰囲気

 マイナーから長く下積みを経験し這い上がってきた選手と、日本のプロ野球で活躍してから鳴り物入りでメジャーに移籍した選手。同じ日本人選手でもやはり雰囲気は違っていた。わずかな給料しかもらえず言葉も通じないマイナー暮らしの中で、他の米国人や中南米出身選手に混じってたった一人でやっていかなければならない環境というのは、相当なタフさが必要であることは容易に想像がつく。

 2001年のキャンプ中、当時ロイヤルズに移籍していたマックを取材時、こんなことを言っていた。

「マイナーはしんどいこともあるけど、野球だけでなく、楽しいこともたくさんある。(日本人も)他の国みたいに、もっと10代からこっちに来てやれるようになればと思う。僕は英語も覚えたし、アメリカ人の友だちもできた」

 マイナーで下積みを経験したことが良かったと言えるそのメンタルは、間違いなくたくましかった。

試合前、緊迫の空気

 メジャーデビューから3年が経つもののまだ経験が浅くルーキーの身分だったマックは、初の日本人先発対決のときはまだ23歳。いよいよこれからという希望に満ち溢れ、与えられたチャンスを何とかものにしようと狙うハングリーな若手だった。

 一方の伊良部は30歳になっていたが、同じくメジャーデビューから3年目。大きな期待を背負って始まったメジャーでのキャリアが順風満帆とはいかず、失いつつある信頼を取り戻すべくもがいていた。立場は違うが、それぞれに野球人生がかかった大事な一戦。歴史的な投げ合いは、互いのそんな事情も絡み合い、試合前から緊迫した空気に包まれていた。

〈続く〉

#2に続く
高校中退してメジャー挑戦…23歳の日本人が伊良部秀輝と対決“マック鈴木の伝説”「マイナーの用具係を経て…」伊良部が試合後に残した言葉

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