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野村克也が猛批判「誰のおかげでお金が稼げているんだ!」巨人・落合博満“名球会拒否”事件とは何だったのか? 落合は「名球会は選手生命の終わり」
posted2025/02/16 11:01

1995年4月15日、巨人・落合博満(41歳)の2000本安打達成会見。名球会入りを“拒否”することを表明
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中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph by
ベースボール・マガジン社
あれから30年。巨人にとって落合博満がいた3年間とは何だったのか? 当時を徹底検証する書籍「巨人軍vs.落合博満」が発売され、3刷重版と売れている。
その書籍のなかから、「名球会拒否事件」を紹介する。41歳の落合は巨人2年目(1995年)を迎えたが、まさかの最下位と波乱のスタートとなる。【全2回の後編/前編も公開中】
◆◆◆
“最年長”41歳で通算2000本安打達成
<1995年、シーズンが開幕するが、巨人は1037日ぶりに最下位転落。そんななかあの事件が起きる。「落合博満、名球会入会拒否騒動」である。>
4月15日の東京ドーム、6回裏の先頭打者として右打席に入った落合は、阪神の久保康生から左中間へ第2号本塁打を放ち、41歳4カ月で史上最年長(当時)の通算2000安打を達成する。500本、1000本、1500本と節目の一打をすべて本塁打で記録してきた落合がまたしても祝砲で記録達成に華を添えた。なぜそんな離れ業が可能なのか、自著の中でその理由を「私のバッティングは、すべて本塁打を狙っていたからである」と明かしている。
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「私がすべて本塁打を狙っているというのは、スラッガーを務める人間の使命のようなものだ。私は、多くの対戦、その一度一度の勝ち負けから投手との戦い方を熟知している。(中略)どんなボールでも確実に打ち返せるよう精度を高め、少しでも捕えやすいボールを投げさせるための構え、呼吸、間のとり方などを探求してきた。その結果、本塁打にできるスイングのバリエーションを多く持つことができたから、すべての打席で本塁打を狙い、本塁打の打ち損ね、つまり自分の形で打てなかった打球がヒットになるというバッティングをするのである」(野球人/落合博満/ベースボール・マガジン社)
“名球会拒否”騒動
前夜はチャンスで2度凡退するなどノーヒットに終わり、2000安打を打ってくると約束した愛息には帰宅後、「パパのウソつき!」と泣かれてしまった。王手をかけてから7打席目の一撃に、ベンチでナインに祝福の握手を求められ、長嶋監督からも声をかけられると安堵の笑みを浮かべてみせる落合だった。その一方で「任意の団体だから入る自由もあれば、辞退をする自由もある」と野手なら2000安打が会員条件の名球会への入会を拒否したことで、俄然騒がしくなる。