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メジャーリーグPRESSBACK NUMBER
伊良部秀輝にヤンキース監督が強烈発言「プロ野球を辞めて別の仕事を探せ」追い詰められた伊良部の姿…マック鈴木との“伝説的投げ合い”ウラ側
text by
水次祥子Shoko Mizutsugi
photograph byGetty Images
posted2024/05/25 11:01
1999年5月7日、メジャーで初めて日本人投手が先発で投げ合った「伊良部秀輝vs.マック鈴木」伝説的試合の舞台裏
いよいよ開幕という時には先発ローテから外されシーズン最初の4試合はリリーフとして登板したが、1死しか奪えず5失点する試合もあるなど、崩れるときは派手に崩れた。5月にはエースのロジャー・クレメンスが太もも裏の肉離れで離脱したため穴埋めとして先発ローテに入るチャンスをもらったが、シーズン最初の先発となった5月2日の敵地でのロイヤルズ戦で3被弾を含む11安打6失点(自責点5)と打たれ4回1/3で降板していた。
次の登板は、なんとしても結果を出さなければならない。
そんな状況でマウンドに上がったシーズン2度目の先発が、マックとの投げ合いだった。もし再び打たれればマイナー落ちの危機もあり得るほど、追い詰められた状況だった。
「プロ野球選手を辞めて別の仕事を探せ」
「今日の登板がどうなるのか、私にもわからない。厳しい状況に耐えられないなら、プロ野球選手を辞めて別の仕事を探せとしか言えない」
ジマー監督代行は、そんなことまで口にした。当時の監督だったジョー・トーリが前立腺がんの治療のため離脱している間にベンチコーチから監督代行になっていたジマーは、1966年に東映フライヤーズでプレーした経験があったが、日本つながりで伊良部に対して好意的だったかといえばそうではなく、むしろ突き放すような厳しさがあった。
もう後がない伊良部に対して、マックはどうか。
マイナー用具係から…マック鈴木とは
10代半ばで海を渡り、マイナー球団で雑用係からスタートするという真に“ゼロからの出発”といえたアメリカ挑戦。93年に野茂よりも先にマリナーズとマイナー契約を結んだが、メジャーまでの道のりは遠く険しいものだった。
マリナーズ傘下でプレーした1年目は肩を壊して投げられなくなり、2年目の95年はリハビリのため主にルーキーリーグとA級で登板した。この年にはメジャー初昇格を果たしたが登板機会がないまま即降格。3年目の96年はAA級からマイナーの最上級であるAAA級に昇格し、さらに7月には念願の2度目のメジャー昇格を果たしたが、デビューとなった7月7日のレンジャーズ戦は6回から2番手で登板し最初の打者から空振り三振を奪ったものの、続投した7回に三塁打を浴び、敬遠と四球で満塁としたところで降板。継投した投手が打たれたため1回1/3を2安打2四球で3失点という結果に終わった。同年にメジャーで登板したのはこの1試合だけで、すぐにマイナーに逆戻りとなり、翌97年は一度もメジャー昇格のチャンスが与えられなかった。