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6度目の挑戦で騎手免許をつかんだ馬ガール・今井千尋と高校時代は柔道の青森チャンピオン・竹ケ原茉耶「ばんえい競馬への変わらない愛」

posted2025/02/14 10:30

 
6度目の挑戦で騎手免許をつかんだ馬ガール・今井千尋と高校時代は柔道の青森チャンピオン・竹ケ原茉耶「ばんえい競馬への変わらない愛」<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto / BANEITOKACHI

ばんえい競馬に2名しかいない女性騎手の今井千尋(左)と竹ケ原茉耶

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井上オークス

井上オークスOaks Inoue

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Kiichi Matsumoto / BANEITOKACHI

体重1トンを超える大型馬が、鉄ソリを曳いてゴールを目指す「ばんえい競馬」は、世界で唯一「帯広競馬場」で開催されている。そのルーツは、北海道開拓の担い手であり家族の一員でもあった農耕馬にある。今も北海道や東北では、自慢の愛馬を持ち寄って「草ばん馬大会」が開催されている。おおらかで楽しい馬のお祭りは、ふたりの女性を騎手という職業へ導いた。

今井千尋

 真っ白なポニーが、小学生の女の子を乗せたソリを曳いて突き進む。台形状の傾斜がついた山(障害)を颯爽とクリアして、後続に大差をつけて1着。今井千尋騎手は、かつて“ポニーばん馬”の名手だった。

「ハクリュウという真っ白なポニーと一緒に、色々な大会に参加して乗せてもらいました。勝ったこともありますし、障害を下りる時に手綱を落としてしまって取ろうとしたら、ソリから落ちてしまったこともありました。『楽に1着を獲れたのにな』と思ったことを今でも覚えています(笑)」

 父は今井茂雅調教師で、母のみどりさんは厩務員。ばん馬に囲まれて育った女の子は、「ばん馬の騎手になりたい」と思っていた。ところが……。

「平地の競馬の映像を見て、好きな馬ができたんです。サイレンススズカが綺麗でかっこよくて、すごく好きになって。当時飼っていたポニョっていうポニーを乗り回して遊んでいました」

 「音速の貴公子」と呼ばれた名馬に魅せられて、馬の背中に乗る楽しさを知った。

「『平地の騎手になりたい』と言ってたんですけど、いつの間にか体重が増えていて断念しました。その後、静内農業高校を辞めて帯広に戻ってきて、厩務員として父の厩舎で働かせてもらうようになりました。それでばんえいのレースを見ていたら、騎手の人達がすごくカッコよく見えて。周りの方々に勧められたこともあり、『ばんえいの騎手を目指そうかな』と思うようになりました」

6度目の受験で騎手免許試験に合格

 初めて騎手免許試験を受けたのは16歳のとき。結果は不合格だった。

「それからずっと受け続けたんですけど、一次の筆記試験が本当にできなくて、二次の実技試験に進めなかったんです」

 諦めようかと考えたこともある。だけど「やっぱりレースに出たい」。勉強を頑張って、6度目の受験で初めて一次試験を突破した。

「最後のチャンスだと思って受けたので、合格発表前は眠れなくて。合格を両親に報告して、泣いて喜びました。長かった(笑)」

 騎手服の胴のデザインは、父が騎手時代に着ていた水色の勝負服をベースに、自分が好きな青色をあしらった。

「袖はデアリングタクト(2020年の三冠牝馬)がすごく好きで、その馬の勝負服の袖が水色の縦縞だったので、自分は青にしたんです」

 2022年12月10日、22歳で騎手デビューを果たした。翌11日、今井厩舎のホクセイサクラコという牝馬とコンビを組み、デビュー3戦目で初勝利を挙げた。

「サクラコの主戦騎手だった鈴木恵介さんに『サクラコは山(障害)がいいから、思い切ってガンガン前に行け』というアドバイスをいただいたので、ガムシャラに前に行きました。恵介さんのおかげです」

馬の息の入れ方をもっと勉強したい

 調教は朝5時頃からスタート。1頭あたり約1時間をかけて、馬の心身と向き合いながら、じっくりとトレーニングをつける。

「それから馬に餌をあげたり、自分がご飯を食べたり。その合間は厩舎にある自分の部屋でひたすら寝ています。なにもない日はゲームをするか寝るか、飼っている金魚を眺めています。遊びに行ったりするのはめんどくさくて(笑)。できれば部屋の中にいたいです。あとは暇だなと思ったら、馬のところに遊びに行ってちょっかいをかけています。迷惑そうに『しつこいなあ』っていう顔されるんですけど、それがまた可愛い!」

 天真爛漫な笑みを浮かべて、馬に愛情を注ぎながら、着実に勝ち星を重ねている。2023年11月、デビューから332日目で通算100勝を達成。ばんえい競馬が帯広のみで開催されるようになって以降の最短記録だ。2024年11月には通算200勝を突破。今年度は既に93勝を挙げている(2月4日現在)。しかし期待のホープはどん欲だ。

「最近は『もっとこうできたよね』というレースが多くて。道中の馬の息の入れ方を、もっともっと勉強しないといけないと思っています」

 ばんえい競馬の騎手は道中で馬を止める。2つの障害をクリアして先頭でゴールにたどり着くために、馬のパワーを溜めるのだ。特に第2障害を登る前の駆け引きは熱い。

「自分では馬を止めて息を入れたつもりでも、あとでレース映像を見返したらぜんぜん呼吸が整っていなくて、馬とバラバラになって山を上げられなかったり、ゴール際で詰まる(馬が疲れて止まる)こともあります。一瞬の判断なんですけど、呼吸が整っているかいないかが、ゴール際で現れるので」

あの6年間は無駄ではなかった

 馬への愛、競馬への愛に裏打ちされた、勝負師としての探求心。愛があふれている。

「父は馬のことに関しては厳しいんですけど、普段はすごく優しいです。父としても調教師としても、すごく尊敬しています。調教のやり方も、父が強い馬を育てていくところを見てきたので、影響を受けています。母はいまも馬房掃除などの厩舎作業をしています。大きな牧草ロールをほぐして、馬が食べやすいように細かく切るのは本当に大変なんですけど、母は先頭で頑張っています。パパもママも大好きです!」

 家族愛もほとばしる。姉の果歩さんも厩務員で、末っ子の弟さんは「騎手を目指そうかな」と言っているそうだ。

「父と母は喧嘩したりしたとき、姉はちょうどいい位置に立って上手にやりくりします。弟はただただ元気でうるさい。バカなことしてみんなを笑わせているようなタイプです(笑)。なんやかんや、みんな仲いいですね。家族だけじゃなくて今井厩舎のスタッフの方達もみんな応援してくれるので、すごく励みになります」

 そして今井騎手は、自身が歩いてきた道のりも愛している。

「騎手になるのに6年かかったんですけど、その間に厩務員としていろんな馬を触らせてもらって、少しずつ少しずつ、馬の触り方や扱い方を学べたのかなと思います。あの6年間は、決して無駄なものではなかったと思います」

竹ケ原茉耶

 青森県の東南部に位置する百石町(現・おいらせ町)。太平洋に面したのどかな町に生まれた女の子は、動物が好きだった。小学5年生のときに、父の勇さんが体の大きな重種の馬(ばん馬)をペットとして飼い始めた。竹ケ原茉耶騎手はこう振り返る。

「大人しい馬だったから、ペット感覚でたてがみを編んだりして遊んでいました」

 父の勇さんは、その馬を草ばん馬大会へ連れて行った。

「私も応援に行ったことがあります。ただ、ちょうど同じ頃に柔道もやり始めて、日曜日は試合と重なることもあったので、かぶらないときは草ばん馬を見に行ったりしていました」

 父の勇さんは草ばん馬大会で、ばんえい競馬の西弘美騎手(現・調教師)と知り合った。岩手出身の西騎手は子供の頃から各地の草ばん馬大会に出場し、騎手になって以降も参戦を続けた筋金入りだ。父の勇さんは西騎手の勧めで馬主資格を取得した。

「その流れで、親に『騎手になる道もあるよ』と勧められたんです。私は『軽種(平地)の騎手だと怖いけど、ばんえい競馬はゆったりだから怪我しないかな?』と思って、『じゃあばんえいの騎手になろう』と。でも、いざ中学卒業前に『すぐに競馬場へ行く』と言ったら、親は『先々考えが変わるかもしれないから、高校だけは行け』って。上手く行かなくてすぐに帰ってこられても困ると思ったんでしょうね」

柔道に鍛えられた精神力

 親子の押し問答はしばらく続いたが、西騎手から「今の騎手試験は高校を出ないと受かんないよ」と説得されて、八戸市の光星学院(現・八戸学院光星)へ進学した。

「高校に入ったら柔道はやめるつもりだったのですが、親に『ばんえいに行くんだったら力を落としたらいかん』と言われて。それで柔道を続けることにしました」

 実家を離れて下宿生活を送りながら、柔道漬けの日々が始まった。スポーツに力を入れている高校なので、練習はハードだったのでは?

「だいぶ……(笑)」

 嗚呼。どんな技が得意だったのだろう。

「身長が小さいのに軽量級じゃないから、普通に背負い投げをかけても、相手は跨いでかわしてしまう。背負い投げだけじゃどうにもならないから、背負いに入ると見せておいてフェイントをかけたり、微妙にこすい技が得意(笑)。先に柔道を始めた4歳上の兄貴から、色々な技を教え込まれていました」

 タイトルを訊ねると、「一応、県チャンです」。高校柔道の青森チャンピオンなのだ。

「柔道を通じて仲良くなった人もいるので、結果的には柔道を続けてよかったなと思います。あとは筋力と体力と、精神力を鍛えられました。騎手になってからも、『あの時よりはマシかな?』とか、『あの時あんなにしんどかったんだから、ここでやめなくていいや』と思うことがあります」

満を持して、ばんえい競馬の世界へ

 22歳のとき、騎手免許試験に合格。2005年1月5日、騎手デビューを果たした。

「『おい大丈夫か? 顔青いぞ』とか言われながらスタートしたところまでは覚えてるけど、わちゃわちゃしているうちに終わっていて、何着なのかも、(ソリの最後端が)ゴールに入ったかどうかもわからなかった。部屋に帰ってきて、騎手服から着替えて手を洗うときに『なんか痛い』と思ったら、どこかにぶつけたみたいで皮がむけていました」

 それから約2週間後の1月21日、牝馬のヤマトハンターとコンビを組んで、嬉しい初勝利をゲットした。その後、ヤマトハンターが出産した牝馬モクレンともコンビを組んだ。モクレンはレースで勝利を挙げられなかったが、モクレンが出産した牡馬のフウリンカ、牝馬のグレースハンター、牝馬のスイレンカとは長くコンビを組んで活躍した。この5頭はいずれも父の勇さんの所有馬だった。

「まずヤマトハンターとモクレンはぜんぜん似てなくて、モクレンは父親のコーネルトップに似ていると思う。フウリンカとグレースハンターは父親も同じニシキダイジンだから、顔も性格もそっくり。レースぶりも馬屋の汚し方も、全部同じでした。穏やかな性格で、『いっつもモヘーっとしてるんじゃねぇよ、コノヤロー』って(笑)」。

 なんだか愛を感じるクレームだ。

「スイレンカは性格も顔つきも、何もかもが違う。なんでも一生懸命で、性格はきついきつい(笑)。スイレンカの父親のアローファイターには乗せてもらったことがあるし大好きな馬で、重賞に出るときは飾りつけをしたりしていました。スイレンカの子どもが生まれたら、会いに行こうと思います」

20年騎手を続けてきた理由

 今年の1月で、デビューから20年の月日が流れた。竹ケ原騎手はばんえい競馬史上3人目の女性騎手で、4人目が後輩の今井騎手だ。既に引退した2人の女性騎手を含めて、最もキャリアが長い。

「女性ジョッキーがひとりしかいないっていうのは、若干プレッシャーだったかもしれない。1人目の辻本由美さんがデビューしてから、女性の騎手がいない年がなかったんです。私は2人目の佐藤希世子さんが現役のときにデビューしたので。やっぱり途切れさせたくない気持ちもありました」

 調教中の事故で全身を骨折しても、くじけずに復活して騎手を続けてきた理由の一端。繊細な想いに触れた。

「馬が好きだから」

 竹ケ原騎手はそう言ってからりと笑った。

女性騎手9名による競走を各競馬場2競走ずつ実施し、第1戦の佐賀競馬場で獲得したポイント最上位の騎手を表彰するとともに、合計4競走で獲得したポイントの結果による上位3名を最終戦の園田競馬場で表彰する。

また、4年ぶりにばんえいエキシビションレースを第1戦に先がけて帯広競馬場で開催。同レースには、ばんえい所属の今井千尋騎手と竹ケ原茉耶騎手も参加予定。

日程・実施競馬場

ばんえいエキシビション:2025年2月16日(日)帯広競馬場
佐賀ラウンド:2025年3月8日(土)佐賀競馬場
園田ラウンド:2025年3月12日(水)園田競馬場

参加予定騎手
  氏名   所属
 関本玲花  岩手
 中島良美  浦和
 神尾香澄  川崎
 深澤杏花  笠松
 木之前葵  愛知
 宮下瞳  愛知
 佐々木世麗  兵庫
 塩津璃菜  兵庫
 濱尚美  高知

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