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26年前、日米騒然のメジャー挑戦…伊良部秀輝とは何者だったのか?「記者の名刺を目の前で破り捨て…」私が伊良部から“呼び出された日”
posted2023/07/06 11:01
text by
水次祥子Shoko Mizutsugi
photograph by
JIJI PRESS
今年の7月が伊良部秀輝の十三回忌にあたる。ヤンキース在籍時代に駆け出しの記者だった私は、ある記事を書いたことで伊良部の逆鱗に触れた――。
電撃メジャー挑戦、メディアとの確執、オーナーの批判……激動のメジャー時代を追った記者が綴る「伊良部秀輝の真実」。〈全3回の#1/#2、#3へ〉
電撃メジャー挑戦、メディアとの確執、オーナーの批判……激動のメジャー時代を追った記者が綴る「伊良部秀輝の真実」。〈全3回の#1/#2、#3へ〉
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かつて日本最速の剛腕としてその名を轟かせ、清原和博との対決は「平成の名勝負」とまでうたわれた伊良部秀輝。しかしメジャーリーグで戦った日々は、自らが巻き起こした騒動と混乱、そして失意にまみれていた。
「伊良部のメジャー」なぜ大騒動に?
まずメジャー移籍の経緯が、野球史に残る大騒動にまで発展した。
メジャーに挑戦したい、しかもニューヨーク・ヤンキースでなければ嫌だと言い張り、所属するロッテともめたのは1996年オフのことだ。
メジャー移籍は認められたものの、当時は日米間の移籍のルールが確立していなかった。そこでロッテが提携関係にあるサンディエゴ・パドレスに選手保有権を譲渡する契約を交わしたことから、両国の球界を巻き込む大騒ぎに。伊良部はパドレス移籍を断固拒否し、メディアからは「わがまま」「悪童」とバッシングされた。
自分の意志を曲げずに押し通し、三角トレードという形でヤンキースへの移籍が実現したのは1997年5月下旬だった。契約金は、メジャーで1度もプレーしていない選手としては当時破格の4年総額1280万ドル。その年の最高年俸投手がロジャー・クレメンス(当時ブルージェイズ)の840万ドルであり、年平均300万ドル超えは先発ローテの1~3番手クラスの金額だった。