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「スポーツの力って何だろう?」小塚崇彦、畠山健介、中田英寿が能登支援を通じて考えること。「まだまだやれることはある」

posted2025/01/31 11:00

 
「スポーツの力って何だろう?」小塚崇彦、畠山健介、中田英寿が能登支援を通じて考えること。「まだまだやれることはある」<Number Web> photograph by 日本財団

支援先の住人が偶然フィギュアスケートファンで「縁を感じた」という小塚崇彦さん

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矢内由美子

矢内由美子Yumiko Yanai

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 アスリートによる社会貢献活動を推し進める目的で日本財団が2017年に始めた「HEROsプロジェクト」。23年12月に結成が発表された「災害支援チーム」にとって、24年は思いもよらぬほど多くの活動が繰り広げられた1年となった。

 2024年1月1日に起きた能登半島地震。被災地の人々が力を振り絞って復興への一歩を踏み出していた中に起きた、9月下旬の大水害。想像もできない光景が広がる現場にたびたび足を運び、災害からの復旧に汗を流したトップアスリートは、目の前にある現実から何を感じ取ったのだろうか。

活動することが人と人をつないでくれる

 フィギュアスケートの元オリンピック選手、小塚崇彦さんが石川県輪島市門前町深見に向かったのは水害から間もない昨年10月のことだった。長年、金沢市のスケートリンクでの指導を行なっていた関係で、「金沢市と能登半島では状況が全然違っていると聞いていた」という小塚さんは、HEROsの災害支援チームに加わるにあたり、昨年6月に長野県で行なわれた「日本財団HEROs 重機講習会」に参加し、重機オペレーターの資格を取得していた。能登へ向かった日も、ポケットに“免許証”をしのばせていた。

 ただ、支援活動に参加したタイミングは大水害の直後。道路や住宅を含め、町一帯が泥と流木で埋め尽くされており、小型重機を使える状況ではなかった。

 息をのみながらまずは下見のためにメンバーたちで一帯を歩いた。すると、挨拶を交わした年配の被災者が偶然、フィギュアスケートの熱烈なファンであることが分かった。

「まさか小塚くんがここに来てくれるとは……」と感激され、そちらのお宅で泥の掻き出し作業を行うことになった。

「そのおばあちゃんの家では、震災で崩れた母屋の中から大事な物や思い出の品々を拾い出して物置に運んであったのですが、9月の水害で川が氾濫して、全部が泥に埋まっていたのです」

 小塚さんは物置の中で泥まみれになった物を壊してしまわぬよう、丁寧に泥を取り除き、それを運んで捨てに行く作業を何度も繰り返していった。すると、フィギュアスケートの写真集が次々と出てきた。

「『スケートが好きでアイスショーも見にいって、ずっと応援していたんだよ。今日はありがとうね』。そう言われて僕も『これからも他のスケーターたちも応援してあげてね』と言葉を返しました」

 水で洗い流した本はブワブワになっていた。だが、それを目にしたおばあちゃんが相次ぐ大災害で打ちのめされていた表情を一瞬ほころばせたように見えた。

「その時に感じたのは、活動することが人と人をつないでくれるということです。“縁”という言葉一つで表現して良いものなのか分かりませんが、それでもやはり、縁というものをすごく感じました」

 小塚さんが足を運んだように、24年は災害支援チームに名乗りを上げた多くのアスリートが能登で支援活動に参加した。日本財団のまとめによると、24年12月末までにアスリートが実働した延べ日数は107日、参加人数は延べ471人。赴いた能登地方の学校は149校、触れ合った児童・生徒は約1万人。

 災害支援チームの登録アスリートは現在、活動未参加の人を含めて約300人のネットワークへ広がりを見せており、今も増えている。

 また、多くの協力者を集める力を持っているのもトップアスリートのスペシャルな能力のひとつ。アスリートの呼びかけで、石川県内の高校や大学、専門学校の部活動の学生から「活動をサポートしたい」という手が次々とあがり、その参加人数は水害の支援活動だけで455人にのぼった。

“集める力”が発揮されたのはマンパワーだけではない。10月末の時点で災害支援チームが能登に届けた「段ボールベッド」「サーキュレーター」「衛生用品」「飲料・食料」などの物資は2万9139個。これはJリーグ、Bリーグなどさまざまなスポーツ組織や各クラブ、あるいはアスリート個人がそれぞれ持つスポンサーの協力も支えになった。また、日本財団が開いた重機講習会に参加したアスリートは22競技35名だった。災害支援チームが発足してすぐにこれだけの数字を出せたのはHEROsプロジェクト内で以前から災害支援活動の構想を持ち、準備を進めていたからではあるが、やはり、アスリート自身の力があるからこそと言える。

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