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伊良部秀輝にヤンキース監督が強烈発言「プロ野球を辞めて別の仕事を探せ」追い詰められた伊良部の姿…マック鈴木との“伝説的投げ合い”ウラ側

posted2024/05/25 11:01

 
伊良部秀輝にヤンキース監督が強烈発言「プロ野球を辞めて別の仕事を探せ」追い詰められた伊良部の姿…マック鈴木との“伝説的投げ合い”ウラ側<Number Web> photograph by Getty Images

1999年5月7日、メジャーで初めて日本人投手が先発で投げ合った「伊良部秀輝vs.マック鈴木」伝説的試合の舞台裏

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水次祥子

水次祥子Shoko Mizutsugi

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 1999年5月7日、ヤンキースタジアム。メジャーで初めて日本人投手が先発で投げ合った日――。当時、現地で取材した記者が綴る「伊良部秀輝vs.マック鈴木」伝説的試合の舞台裏。〈全2回の1回目〉

◆◆◆

「絶対に負けるなとは言わない。ただ底力を見せてほしい」

 ヤンキースのドン・ジマー監督代行が試合前、その日先発する伊良部秀輝に発破をかけた。

日本人先発「史上初の投げ合い」

 1999年5月7日、ヤンキースタジアム。相手の先発はマリナーズのマック鈴木だった。日本人2人が先発投手としてメジャーで初めて投げ合うという歴史的な出来事が、メジャーの聖地と呼ばれる球場で繰り広げられようとしていた。

 野茂英雄がパイオニアとして1995年に海を渡り日本人選手が次々とその後を追うようになってから、日本人対決が幾度となく繰り広げられ、さまざまなドラマを生んできた。伊良部対マックの前には1997年6月18日に野茂と長谷川滋利、同年8月20日には伊良部と長谷川が対戦しているが、事前に登板が予告される先発同士の投げ合いは、そのマッチアップにストーリー性があればあるほど、事前の盛り上がりが大きくなる。日本人先発の初対決は日本だけでなく米国でもやはり、試合前から話題になっていた。

「先発投手はオールジャパン」

 その日の地元紙ニューヨーク・ポストには、そんな見出しが躍った。

追い詰められていた伊良部30歳

 伊良部とマックは当時、同じ日本人投手とはいってもまるで立場が違っていた。日本のノーラン・ライアンと呼ばれ97年に鳴り物入りでヤンキースに入団した伊良部は、メジャー3年目の99年は苦しいシーズンを送っていた。スプリングトレーニングから調子が上がらず、最後のオープン戦登板で2試合続けて一塁カバーに入るのを怠るという失態をおかし、当時の名物オーナーだった故ジョージ・スタインブレナー氏に「太ったヒキガエル」と罵倒され騒動になった。

【次ページ】 「プロ野球選手を辞めて別の仕事を探せ」

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