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「お前、その髪型で車が売れると思うか?」18歳森保一がパンチパーマにした日…恩師が叱った森保監督のやんちゃな“新入社員時代”
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木崎伸也Shinya Kizaki
photograph byJ.LEAGUE
posted2024/02/11 11:25
![「お前、その髪型で車が売れると思うか?」18歳森保一がパンチパーマにした日…恩師が叱った森保監督のやんちゃな“新入社員時代”<Number Web> photograph by J.LEAGUE](https://number.ismcdn.jp/mwimgs/c/1/700/img_c1613809a0e6894b1666342cc6c30f78397965.jpg)
1993年、Jリーグ開幕時の森保一(当時24歳)。高卒でマツダに入団した森保、18歳の新人時代はパンチパーマだったという
「カープの方に『苦労話でもなんでもいいので話をしてくれませんか?』と相談しました。そうしたら『ぜひやらせてください』と快く引き受けてくれた。うちの選手にカープの選手たちが話をしてくれると伝えたら、『え、本当ですか?』と目を輝かせていた。スポーツを職業にして飯を食っている大先輩ですから、やはり選手たちも関心の持ち方が違います。
のちにサンフレッチェが強くなった背景には、カープの助けがあったんです。身近にお手本がいたことが、チームの強化、選手の人間的成長に大きく役立ちました」
マツダの職場にはカープを引退した元選手が数人おり、彼らにも体験談を語ってもらった。
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「ある元選手は『現役中からファンの方たちとたくさん話をして、仲良くなりなさい』と教えてくれた。競技人生は短く、引退してからの方が長い。そのときにファンとの関係がきっと役立つからと。選手たちはいろいろな刺激を得たと思います」
先輩の証言「ポイチは“見て盗む”選手」
よく森保は「運がいい男」と言われる。
中学・高校と全国大会に出たことがないにもかかわらず名門実業団に発掘され、マツダで今西流の人間教育を受ける機会に恵まれた。のちに日本代表監督に就任するハンス・オフトの愛弟子になることもできた。
そして、社会人になったときに身近にカープというプロ野球球団があったことも、「強運」の一例と言えるのではないだろうか。
とはいえ、チャンスを生かせるかは本人次第である。森保は底辺からのスタートであることを自覚し、アンテナを鋭敏にしていたからこそ、カープの存在をアドバンテージにできた。
サンフレッチェ広島の大先輩・風間八宏は、『ぽいち 森保一自伝』(西岡明彦との共著)で森保の武器をこう分析した。
「ポイチは僕のプレーなどを見て、『盗んでいる』選手だった。彼にはたびたび質問されたことがありましたが、『こうしろ』とアドバイスしたことは一度もなかったですね。常に僕のプレーを注意深く観察して、そこから感じたものを自分のプレーの中に取り入れていたのではないでしょうか」
本連載で「人から話を聞いて吸収する」能力について触れたが、森保はその発展版の能力も持っている。
それは「人を見て盗む」能力。
人から話を聞くだけでなく、さらに観察して吸収する。「聞く」と「見る」のフル活用をしているからこそ、最初は未熟と思われていても、時間をかけてコツコツと吸収し、あるとき突然、周囲の予想を超える大ジャンプを成し遂げられるのだろう。
ある時点でダメだったからと言って、ずっとダメではないのが下克上の人・森保一の真髄である。
<第10回に続く>
森保一(もりやす・はじめ)
1968年8月23日、静岡県生まれ。長崎県出身。1987年に長崎日大高を卒業後、マツダサッカークラブ(現・サンフレッチェ広島)に入団する。現役時代は、広島、仙台などで活躍し、代表通算35試合出場。1993年10月にドーハの悲劇を経験。2003年に現役引退後、広島の監督として3度のJ1制覇。2018年ロシアW杯ではコーチを務め、2021年東京五輪では日本を4位に、2022年カタールW杯ではベスト16に導いた
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