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「森保は漢字の間違いが多くてね…」“じつは勉強が苦手だった”森保一監督を変えた新人時代…恩師が明かす「“森保メモ”はこうして生まれた」
posted2024/02/11 11:26
text by
木崎伸也Shinya Kizaki
photograph by
AFLO
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試合中にメモを取る――。2022年カタールW杯において、森保一の習慣は日本だけでなく世界的にも話題になった。
気がついたことを書き留め、ロッカールームにおけるスピーチや戦術変更の材料にするのが目的である。メモを書くと大事なポイントが浮かび上がり、思考が可視化され、アイデアの取捨選択をしやすくなるのだろう。
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「森保メモ」は森保の代名詞のひとつになり、カタールW杯後に選手らと首相官邸を訪れた際には、岸田文雄首相と互いが愛用するノートを交換したほどである。昨年6月には日本サッカー協会から「森保監督監修A6ノート」(税込300円)が発売された。
ただし、高校時代を知る人たちは「メモの使い手」というイメージに違和感を覚えるかもしれない。もともと漢字が得意なタイプではなかったからだ。
「森保は誤字や間違いが多くてね…」
1968年生まれの森保は、1987年3月に長崎日大高を卒業し、18歳で実業団の名門・マツダに入団している。
マツダの総監督だった今西和男は、教え子の入団時の出来について愛情を込めて振り返った。
「森保に練習日誌を書かせて提出させたら、誤字や言い回しの間違いが多くてね。赤を入れると、真っ赤っかになりましたよ」
高校時代はサッカーにすべてを捧げていた一方で、勉強についてはあまり力を入れていなかった。授業では寝ていることが多かったという証言もあり、漢字が苦手だったとしても仕方がない。
森保にとって幸運だったのは、今西が「社員教育」に力を入れていたことだ。
今西は東京教育大学(現・筑波大学)を卒業しており、教員免許を持っている。リーダーシップを見込まれて計7500人をまとめるマツダの寮長を任されたこともあった。そのときに人間教育の効果を確信し、サッカー選手たちにもさまざまな学びの機会をつくった。合言葉は「サッカー選手である前に、良き社会人であれ」である。
その教育が10代の森保を大人にしていった。
森保「“サッカーノート”の経験が大きかった」
たとえば、「日誌」の提出。毎朝、練習で感じた反省と課題をコーチに提出するというもので、現代風に言えば「サッカーノート」である。