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「お前、その髪型で車が売れると思うか?」18歳森保一がパンチパーマにした日…恩師が叱った森保監督のやんちゃな“新入社員時代” 

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木崎伸也

木崎伸也Shinya Kizaki

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photograph byJ.LEAGUE

posted2024/02/11 11:25

「お前、その髪型で車が売れると思うか?」18歳森保一がパンチパーマにした日…恩師が叱った森保監督のやんちゃな“新入社員時代”<Number Web> photograph by J.LEAGUE

1993年、Jリーグ開幕時の森保一(当時24歳)。高卒でマツダに入団した森保、18歳の新人時代はパンチパーマだったという

「嫌な髪型にしやがってと思いましたね。練習場で顔を合わせたときに『この会社は車をつくる会社だぞ。つくるということは売らんといかん。その髪で売ったら買ってくれると思うか?』と投げかけました。

 すると森保は『買ってくれんかもしれませんねえ』と答えたものの、すぐに髪型を変えることはしませんでした」

 本連載では森保がサッカーを通してさまざまな成長を遂げてきたことを書いてきたが、高校を卒業したばかりのときはまだまだ10代らしい未熟さを抱えていた。それが髪型にも現れていたと言える。

「お前どうしたんや?」

 18歳とはいえ社会人。もしずっとパンチパーマのままでいたら、さすがに今西も諭すだけでなく、雷を落としていたに違いない。

 だが、森保は未熟な中にも優れた察知力を持っていた。今西が本気で怒る前に髪を切り、パンチパーマを自主的にやめたのだ。

 今西は嬉しそうに振り返った。

「しばらくしたら森保がパンチパーマをやめて髪を短くしたんですよ。『お前どうしたんや?』と聞いたら、『みんなと違う髪にするっていうのはあんまりいいことじゃないですね』と。

 人からやれと言われる前に、このままではいかんと自分で気がついて行動に移す。そこが森保のいいところ。賢い子ですよ」

 この脱パンチの背景には、広島カープの選手たちの存在があった。今西が「どうしてみんなと違う髪型にするのは良くないと思った?」と尋ねると、森保はこう答えた。

「カープの選手たちに会うと、身なりがきちんとしているし、しっかり敬語を使って話していた。僕もサッカーで飯を食って行くには、ああいうことを真似せんといかんのですかね」

 森保はカープの選手たちの紳士的な立ち振る舞いに触れ、それによって自分の未熟さを客観視できたというわけだ。

「カープの助けがあったんです」

 それにしても森保はなぜプロ野球選手に出会えたのだろう? いくらマツダがカープのメインスポンサーと言っても、プロ野球の試合数は多く、簡単には会えないはずだ。

 そこはやはり総監督・今西の力が大きかった。1963年に東洋工業(マツダの前身)に入社した今西は販売や総務といった社業でもトップクラス。マツダ社内でも出世頭であり、山本浩二や衣笠祥雄とも顔見知りだった。

 今西はカープに対して「うちの選手向けに講演会をしてくれませんか」と相談。カープの選手がマツダの寮を訪れ、競技の枠を超えた交流が始まったのである。

【次ページ】 先輩の証言「ポイチは“見て盗む”選手」

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