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「隣町の中学生20人が乗り込んできた」“やんちゃだった”森保一監督、地元・長崎でのケンカ未遂事件「森保は中2からスゴいリーダーでした」

posted2024/01/26 11:16

 
「隣町の中学生20人が乗り込んできた」“やんちゃだった”森保一監督、地元・長崎でのケンカ未遂事件「森保は中2からスゴいリーダーでした」<Number Web> photograph by AFLO

1993年10月のアメリカW杯アジア最終予選。“ドーハの悲劇”で森保一の名前を記憶しているファンも多いだろう

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木崎伸也

木崎伸也Shinya Kizaki

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アジアカップを戦うサッカー日本代表。その指揮官・森保一(55歳)とはいったい何者なのか? 森保の地元・長崎、そして広島、仙台を徹底取材して見えてきた“意外な素顔”とは? ライター木崎伸也氏がNumberWeb集中連載でレポートする。【連載「誰も知らない森保一」の第2回/第1回も公開中】

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 危機に陥ったときに、いかに反発力を発揮できるか――。

 W杯で優勝できる監督と、そうではない監督を分ける最大のポイントのひとつだろう。

 2022年カタールW杯の初戦において、アルゼンチンはサウジアラビアにまさかの逆転負けを喫してしまう。多くのアルゼンチン国民の脳裏に「早期敗退」の文字が浮かんだに違いない。

 だが、リオネル・スカローニ監督は保身に走らず、攻めの決断をする。第2戦のメキシコ戦で当時23歳のアレクシス・マクアリスターを先発に抜擢し、さらに第3戦のポーランド戦では当時21歳のエンソ・フェルナンデスと当時22歳のフリアン・アルバレスを先発に指名。若手たちがリオネル・メッシのために走るという構図ができあがり、その後1度も負けずに優勝を果たした。

 また、2014年ブラジルW杯のこと。ドイツはEURO2012で優勝を逃したことから重圧にさらされていたが、ヨアヒム・レーブ監督は分析眼を失わなかった。高温多湿の気候および移動距離の長さを考慮し、「自分たちのサッカーにこだわるべきではない」と結論づける。それまでは強度の高いプレスに取り組んできたが、引いて体力をセーブするやり方に変更し、「南米大会で欧州勢は優勝できない」というジンクスを見事に覆した。

 日本代表の森保一監督も、この才を秘めた指揮官である。

 カタールW杯最終予選でオマーンとサウジアラビアに敗れて崖っぷちに立たされたが、オーストラリア戦でシステムを4−3−3に変更して守田英正と田中碧を抜擢。チームが別人のように躍動し始め、結局は2位で通過を果たした。

 そして本大会のドイツ戦とスペイン戦では、ともに前半に先制されながらも、後半の選手交代で強度を上げて逆転勝利した。批判の声にさらされるほど、采配が冴える。

 なぜこれほど危機に強いのか? 森保のルーツを取材していくと、普通ではない行動力が浮かび上がってきた。

中2だった森保の“事件”

 中学2年のとき、1968年生まれの森保が14歳の頃の話だ。

 森保が育った長崎市深堀町は造船町および漁師町で、80年代はやんちゃな若者が多いエリアだった。当時の深堀中学校の卒業アルバムを開くと、リーゼントヘアできめた男の子たちが並んでいる。校内の廊下は学生たちがたむろする絶好の場所になっていた。

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