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箱根駅伝で“世紀の大ブレーキ”…元順大・難波祐樹が《京大合格約30人》京都の公立進学校を大躍進させるまで「あの失敗があったからこそ…」
posted2024/01/21 11:02
text by
山崎ダイDai Yamazaki
photograph by
JIJI PRESS
昨年、京都の高校駅伝界の“盟主”洛南高校を相手に互角の戦いを見せた洛北高校陸上部。
毎年京大に30名近い合格者を出し、関西圏の名門国立大である阪大、神大まで含めれば50人を超える合格者を出す公立の“超”進学校である。そんな入学時の厳しいハードルもあり、中学時代に実績のあるランナーはほとんどおらず、府外からの入学者もいない。
そんな決して恵まれた環境ではない中でのチームの急成長は、何をおいても監督である難波祐樹の存在なくして語れない。異質の指導法で躍進を見せた指揮官の背景には、箱根路での苦い記憶とその後の紆余曲折があった。(全3回の最終回/最初から読む)
「いま仲村監督が(車から)降りて、水を渡しました。意識はあるか――!」
そんなアナウンサーの絶叫を聞くまでもなく、画面の向こうで走る、そのランナーに異変が起こっているのは誰の目にも明らかだった。うつろな視線に、おぼつかない足取り。ガクッと落ちたペースは、もはやその区間の完走すら危ういようにも見えた。
2006年“世紀の番狂わせ”が起こった箱根駅伝
今から18年前、第82回箱根駅伝復路。この年、伝統のマルサのマークを付けた順天堂大学は、箱根路の先頭をひた走っていた。
往路では、この年から距離が伸びた山上りの5区で、“初代・山の神”今井正人(現トヨタ自動車九州)が5人抜きの激走を見せ、トップにたった。復路に入ってもその勢いは衰えず、7区が終わった時点で2位とはすでに3分近い差。勝負はほぼ決したかに見えた。
ところが、8区を10kmほど過ぎたあたりで、冒頭の“事件”が起こる。
この区間に起用された4年生で駅伝主将の難波祐樹が、脱水症状から大ブレーキを起こしたのだ。京都・洛南高時代から全国大会で活躍していた難波は、1年時から3年連続で箱根路を駆けていた順大の中核選手。周囲からすれば誰もが「まさか」と思うような状況だった。
フラフラになりながらなんとか襷はつないだものの、難波は区間最下位に終わる。結果的に、順大は順位を4位まで落とすことになった。
最終的には戦前の評価がそれほど高くなかった亜細亜大が初優勝し、“世紀の番狂わせ”とまで言われたこの大会。その「波乱」のきっかけとなったのが、難波の失速だった。
「当時のレース直後はもちろん辛かったし、悔しかったですよ。でも、今になって振り返ると、あの失敗があったからこそより箱根駅伝を好きになったような気がしますね」