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箱根駅伝で“世紀の大ブレーキ”…元順大・難波祐樹が《京大合格約30人》京都の公立進学校を大躍進させるまで「あの失敗があったからこそ…」
text by
山崎ダイDai Yamazaki
photograph byJIJI PRESS
posted2024/01/21 11:02
2006年の箱根駅伝、先頭をひた走っていた順大にまさかのブレーキが起きたのは8区。ランナーは主将の難波祐樹だった
現在は高校陸上部の指導者となった難波本人は、かつての記憶をそう振り返る。
「実は思った以上にあの失敗って引きずらずに済んだんですよ。それはやっぱり今井もそうでしたし、襷を繋いだ長門(俊介、現順大監督)とか後輩や同期たちが本当に良い仲間で。卒業した先輩たちも、レース後には『大丈夫か? 生きてるか?』ってメッセージもくれたりして(笑)。そういう温かい環境だったから、意外とすぐに前を向くことができたんです」
いまでこそ難波は気丈にそう語ってくれたが、やはり当時は自責の念も大きかったのだろう。翌年、リベンジとばかりに順大は総合優勝を果たすが、そのアンカーが大手町のゴールに飛び込む瞬間、涙をおさえられなかった難波の姿が映像に捉えられている。
レース後、失敗を受け入れてくれたチームメイトやスタッフに対する感謝の気持ちとともに、湧いてきたのは自身の取り組みへの後悔の念だったという。
「あの時こうしておけばよかったな、こうやったんちゃうかなっていうことはもういっぱいあって。あの年は11月の終わりに故障しているんです。伊豆大島の合宿でケガして。それで本番の2週間前まで走れなかった。仕方ないことではあるんですが、何とかあれは防げたんじゃないか……とか、そういうことをずっと考えてしまいましたね」
26歳で競技引退。大分で指導者の道へ
卒業後は実業団のJALグランドサービスへと入社した。
マラソンで結果を残したい、五輪の舞台で活躍したい――そんな想いを持って社会へ飛び出したものの、4年後の2010年に同社が陸上部の廃部を決断した。
難波としても志半ばではあったが、そのタイミングで関係者からの声掛けがあったこともあり、悩んだ末に26歳で現役を引退して大分東明高校の駅伝部コーチに就任した。
「大分東明は、いま拓殖大で監督を務めている井上(浩)先生が当時監督を務めていたんですが、本当に多くのことを教えてもらった“原点”ですね」
いまでこそ大分東明高は都大路でも毎年、入賞候補に名前が挙がる強豪校の一角だ。だが、当時はそこまでではなく、実績のある中学生が来る学校ではなかったという。
「それでも、井上先生が実績のない選手をグッと伸ばしていくのを近くで見ることができた。現時点では弱くても、ポテンシャルを持っている選手をちゃんと見極めて、こちらの熱と向こうのやる気が合えば、絶対伸びるということを学ばせてもらえました」
そんな井上から学んだ一番のことは、「伸びる選手」をいかに見極めるかということだ。