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ワインとシエスタとフットボールとBACK NUMBER
トルシエ「それは違う。君は幾度もこの質問をするが…」ホンネで語る小野伸二と黄金世代「真のオノと出会ったのはワールドユースだ」
text by
田村修一Shuichi Tamura
photograph byAFLO
posted2024/01/14 17:00
99年ワールドユース決勝戦前のトルシエ監督と小野伸二。トルシエジャパンを象徴する選手の1人でもあった
「私は3つのカテゴリーを統括し、それぞれが目標とする大会の間に軋轢はなかった。ワールドユースまでは100%の力をユース代表に注ぎ、その後に五輪予選が始まった。唯一コパアメリカだけが日程が重なり、五輪2次予選を最後まで指揮することができず、山本(昌邦コーチ)が日本に残って指揮をとったが、それを別にすれば互いの利害がぶつかり合うことはなかった。
だから私はどの大会にも全力を注ぐことができ、大会の後でベストの選手たちを上の世代に融合させた。五輪代表に小野をはじめ高原や稲本、本山、小笠原、遠藤(保仁)らを招集し、彼らは五輪代表の中核になっていった。彼らには上のチームでもやっていけるだけの能力があった」
柔軟さとオープンな精神が彼らにはあった
――ワールドユースと直前のブルキナファソ合宿で、あなたは選手にアフリカを経験させ、選手としてまた人間として大人になるように仕向けました。
「ヨーロッパとアフリカの経験を経て日本に来た私は、日本人がとても規律に溢れ組織だっているが、選手には責任感が欠如し積極性も欠いていることに気づいた。だから私の人脈を利用して合宿を計画した。ブルキナ合宿は初めてアフリカを経験するためだったが、選手たちに異文化に接する機会を与えたかった。彼らは異なる文化を目にし、自分たちとは異なる感覚を持つ人々に触れた。練習のピッチも日本とは違い、アフリカのサッカーも日本とは違っていた。そうしたすべての経験が選手に自信を与えた。サッカーにおいて決断をする際に、自信があるかどうかはとても重要だ。
また人間的な経験――貧困が存在するアフリカの国々では、人々の暮らしぶりも日本とは異なっている。その違いを私は彼らに見せたかった。そうした困難も、アフリカの人たちが幸福を追求する妨げにはならないし、意欲や野心を抱く妨げにはならない。そうであるからアフリカ人はサッカーにエネルギーを注いでいる。
そうしたことを理解できる柔軟さとオープンな精神が彼らにはあった。彼らが今も当時のことをよく覚えていることを私も知っている」
トルシエが「それは違う」と否定したこととは
――ワールドユースでは準決勝の累積警告で小野は決勝に出られませんでした。確かにスペインは強敵でしたが、小野の欠場も日本の決勝でのパフォーマンスが劣った理由のひとつでしょうか?