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「日本のベッカムになってくれ」小野伸二がアジア杯で輝いた日…トルシエ68歳が旧知の日本人記者へ託す伝言「再会を喜んでくれたら」
posted2024/01/14 17:01
text by
田村修一Shuichi Tamura
photograph by
JFA/AFLO
フィリップ・トルシエ(68歳)が小野伸二について語ったインタビューの後編である。
ワールドユース選手権(現U-20W杯)で日本は、FIFA主催の世界大会で初となる決勝進出を果たした。その過程で、トルシエと選手たちの絆は深まり、トルシエの中で小野の存在感も増していった。人気選手、スター選手を特別扱いしないトルシエにとっても、小野は重要な存在となりつつあった。
そんな中で、そのアクシデントは起こった。シドニー五輪アジア1次予選、日本ラウンドの最終戦となったフィリピン戦で、相手選手のタックルを受けて左膝靭帯断裂の重傷を負い、長期離脱を余儀なくされた。A代表のコパアメリカ参加のため一足先に五輪代表から離れ、パラグアイへと向かったトルシエ不在時の出来事だった。<全2回の第2回/前編も>
小野の膝の怪我を聞いた悲しみと、復帰後の変化
――小野負傷の報はパラグアイで聞かれましたね。
「膝の手術の話を聞いたときはとても悲しかった。(コパ・アメリカから帰国後に)病院を訪れたときは、つらい気持ちでいっぱいだった。私は彼の才能を高く評価していたし、この怪我がキャリアを損なわないことを願うばかりだった。
私にとって小野は絶対的に必要な選手であり、五輪予選において欠くことのできない選手だった。最終予選はタイとカザフスタンが相手だったが、その試合に小野が出られないのは大きな損失だった」
――怪我の前後で彼のプレースタイルは変わりましたか。影響はあったのでしょうか?
「少し変わった印象を受けた。よりシンプルにプレーするようになり、サッカーの見方もシンプルになった。パス・コントロールや創造力、シンプルで効率的なプレー……。リスクを避けるようになり、個人主義的な色が薄まってヨーロッパスタイルに近づいた。
怪我は彼のキャリアに影響を与えたが、キャリアを損なうことはなかった。ヨーロッパでもプレーし、W杯にも3度出場した。ネガティブな影響は何もなかったが、それでも怪我の前と後では多少の違いはあった」
――ポジティブに変わったわけですね。
「そうだが、復帰には時間がかかった。100%の回復にはほぼ1年が必要だった。以前の状態に戻るには大きな困難があったが……怪我の後で最初に代表に復帰したのはいつだったか?」
00年アジア杯以降に輝いた「左アウトサイド小野」
――アジアカップ(2000年10月、レバノン)には行きました。
「2000年2月のカールスバーグ杯で復帰したのではなかったか。マカオ戦(同月、アジアカップ予選)には出ていたような気がする」
――その通りで2000年初頭に復帰しています。