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トルシエ「それは違う。君は幾度もこの質問をするが…」ホンネで語る小野伸二と黄金世代「真のオノと出会ったのはワールドユースだ」 

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田村修一

田村修一Shuichi Tamura

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posted2024/01/14 17:00

トルシエ「それは違う。君は幾度もこの質問をするが…」ホンネで語る小野伸二と黄金世代「真のオノと出会ったのはワールドユースだ」<Number Web> photograph by AFLO

99年ワールドユース決勝戦前のトルシエ監督と小野伸二。トルシエジャパンを象徴する選手の1人でもあった

「強いインパクトを受けたわけではなかった。繰り返すが選手を丸裸にする段階であり、ラボラトリーの過程にあった。私は私のシステムを選手たちに課し、彼らが私のシステムにあう選手かどうかを見極めた。そのシステムがフラットスリーで、私が選手に適合するのではなく、選手が私に適合するのが私のやり方だ。

 だから小野も、このラボの過程において存在した。19歳と若く、彼の本当の姿を見たのはもっと後になってからだった。タイでおこなわれたU-19アジアユース選手権で、このときに私はこの世代の選手たちの才能を発見した。小野や本山、高原、小笠原、稲本……。チェンマイで私は、U-19代表のポテンシャルを目の当たりにした」

――なかでも小野は際立っていましたか。

「世代全体の豊かなポテンシャルは感じたが、小野自身からはそこまで強い印象を受けなかった。たしかに優れた選手ではあったが、アフリカとヨーロッパの経験がある私が見たときに、驚愕するほどのインパクトはなかった。

 卓越したテクニックとラストパスの能力は注目に値したが、それは日本の選手に共通した特徴でもあった。アシスト能力の高い選手を当時は10番と呼んでおり、比較をするとしたらフランスの10番の選手たちだった。小野から受けるイメージは、フランスでいえばジダンやプラティニのイメージだ。

 私は小野をアジア大会(1998年、タイ)にも招集した。私からすれば、小野は私の要求に応えるべき立場にあった。アジア大会に参加したのはベストチームではなかった。Jリーグはすべての選手を解放することなく、私にとってアジア大会は選手たちの特徴を把握する機会としてポジティブだった」

本当の価値を見出したのはワールドユースだった

――結果はグループリーグ敗退(U-21代表で臨んだ日本は、大会準優勝のクウェートを破ったものの、韓国とUAEに敗れて2次リーグで敗退)でした。

「本当の転換点――小野とU-20世代の本当の価値を見出したのはワールドユース選手権だった。覚えているのは1999年初頭のJヴィレッジ合宿での最初の練習から、私がJリーグ世代と呼んだ選手たちが才能を存分に発揮したことだ。そこから私と彼らの物語が始まった。彼らの能力を開花させるためのプロジェクトが始動し、小野と稲本、中田浩、小笠原、市川(大祐)、曽ケ端(準)が3年後のW杯に参加した。最初に彼らと顔を合わせたとき、W杯にこれほど多くの選手を連れていくとは思ってもいなかった。

 私が真の小野と出会ったのも、このJヴィレッジでの合宿においてだった。そしてナイジェリアにおける本大会で、小野の才能を目の当たりにした。

彼らには上のチームでもやっていけるだけの能力が

――ワールドユースのときから、この世代を次に五輪代表に融合させ、さらにはA代表に融合させるプロセスを思い描いていました。

【次ページ】 柔軟さとオープンな精神が彼らにはあった

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