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テレビ解説も思わず「ちょっと脆いですね」…全国高校駅伝20年前の《大波乱の内幕》初出場から“6年連続入賞”駅伝「超名門」佐久長聖高“失敗の本質”
text by
山崎ダイDai Yamazaki
photograph byJIJI PRESS
posted2023/12/24 06:08
圧倒的な優勝候補だった仙台育英とともに1区で留学生を追って飛び出した佐藤悠基。区間中盤での失速は誰もが予想していなかった
この年、初出場から無傷の7年連続入賞を狙った佐久長聖高の戦術は、端的に言えば「大エース・佐藤悠基による逃げ切り」だった。
チームとしてトラックのタイムは持っていた。ただ両角監督の中では、下級生が中心のチームで「速さ」はあっても「強さ」に不安があった。その弱点を補うために、1区の大黒柱の走りの「勢い」を使って流れを作ろうとした。
エースの区間中盤での失速は、その戦術が崩壊しかけていることを意味していた。
予想外の展開が生んだ「焦り」と「動転」
それでもNo.1ランナーの意地だろうか、悠基は入賞圏内の区間7位でしのぎ切った。期待値から比べれば凡走かもしれないが、客観的に見ればブレーキというほどでもない。ただ、襷を受けた都甲はそう考え方を切り替えることができなかった。
「もう自分の走りを全然、覚えてないんですよ。動転しすぎていて。とにかく焦って突っ込んでしまって……あとは断片的な記憶しかないんです」
普段なら最初の1kmや、中間点などポイントごとでタイムをチェックする。だが、そんな記憶も全くないほどに慌てていた。冒頭の両角監督の電話を受けた後、次に都甲が記憶しているのは、襷を渡した直後に頭に湧き上がった悔恨の念だ。
「時計を止めるまでもなく、良い走りができなかった感覚だけはあって。『あぁ、やってしまった……』と」
区間33位、4人に抜かれた当時の記憶。それを振り返る都甲の表情には、今も苦しさが滲む。
「佐藤先輩は、そうはいってもブレーキというほどではなかった。なのに、自分が慌てすぎて流れを全く作れなかった。その意味でこの年の……いや、連続入賞という伝統を途切れさせてしまった“戦犯”は明らかに自分なんですよね」
スポーツ推薦での進学がほとんどの駅伝部にあって、当時、都甲は数少ない進学クラスの在籍だった。授業のコマ数の関係で、放課後のポイント練習は一人だけで行うことも多かった。そんな過酷な立場でも超強豪校で憧れの都大路のメンバーを勝ち取ることができた。その高校時代の記憶は、都甲にとって誇るべき思い出であると同時に、大舞台での失敗の悔恨でもある。
20年近くが経った今でもなお、都甲はこの時の映像を1度しか見返すことができていないという。
「2区の襷を受ける中継所って、ランナーでごったがえすんですよ。1回だけ映像を見たんですけど、自分はただただお利口に、されるがままに中継所で押し退けられていて。その時点で弱気ですよね。気持ちの強いランナーって、ああいうところで自分を主張する。場所も絶対に譲らないんです」
都甲の記憶にあったのは、同じ高校の先輩だった上野が1年生で2区を走って区間賞を獲得した時の映像だった。