Number ExBACK NUMBER
全国高校駅伝《26年連続出場》の“超名門”長野・佐久長聖高「たった一度」の失敗の裏側「『それでも佐藤悠基なら…』とみんなが思っていた」
posted2023/12/24 06:07
text by
山崎ダイDai Yamazaki
photograph by
AFLO
特に前任の両角速監督時代には、1998年の初出場から同監督が2011年に東海大に移るまで13年間でたった一度しか入賞を逃していない。では、その「たった一度」が起こった2004年――“史上最強の大エース”を擁したハズの名門校の蹉跌の裏では、一体何が起きていたのだろうか?【全3回の前編/中編、後編も公開中】
「今年は、厳しいかもしれないな――」
寒さも厳しくなる師走の京都で、両角速はそんなことを考えていた。
いまから約20年前の2004年12月のこと。1週間後に全国高校駅伝を控え、長野・佐久長聖高校は現地で直前合宿を行っていた。
客観的に見れば、この年の佐久長聖は間違いなく上位候補の一角だった。
「前年度準優勝」「5000m平均タイムは全国2位」「エースは“あの”佐藤悠基」。
これだけの条件がそろっていたからである。
特にこの年、チームのエースだった佐藤の傑出ぶりは高校陸上界では突出していた。
「圧倒的な強さ」を見せていたエースの存在
後に箱根駅伝でも“3年連続区間新記録”という偉業を達成する逸材は、この年、酷暑のインターハイで日本人トップの2位に入るなど、同世代の日本人にはほぼ負けなし。都大路も1年時に準エース区間の3区で区間2位の好走を見せると、翌年は4区で区間新記録をマークするなどロードでの強さも折り紙つきだった。
しかもこの合宿の1週間前、佐藤は記録会の1万mで28分7秒という途轍もない高校記録をマークしていた。これはシューズの進化が著しい現在でもいまだ破られていない快記録である。同じ10kmという距離の1区を走る予定のランナーとしては、これ以上ない良い流れだったと言えた。
同時期には下級生を中心にレギュラークラスの選手が5000mの自己ベストも連発しており、平均タイムは14分26秒。傍から見ればチームビルディングは順風満帆なように見えた。
にもかかわらず、チームの監督である両角は危機感を覚えていた。
「あの年は悠基という大エースがいたんですが、彼も高校生ですし1万mで記録を出しすぎた反動もあったのか、直前でそこまで調子が上がってこなかったんです」
5000mの平均タイムも悪くはなかったものの、その実、主力に1年生が多いという状況もあった。
「もともと上級生の部員数が少なく、故障者が多かったこともあって上級生の層の薄さはこの年の懸念点だったんです。特に6番目、7番目で誰を使うのかというのは悩ましい部分がありました」