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甲子園の風BACK NUMBER
球児の“丸刈り集団”を見た外国人「日本のヤクザでは…」同じ髪型=チームがまとまる“幻想”は消えるか? 「丸刈り訴訟」から慶応の優勝まで
posted2023/08/29 11:03
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph by
Getty Images
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日本は「外圧を受けないと変われない国」といわれる。ペリーの黒船来航(嘉永6年)にしろ、ジャニー喜多川氏の性加害問題(令和5年)にしろ、外圧が契機となって国内に変化が起こった。甲子園球児の「脱丸刈り」も、キッカケは海外での出来事だった。
外圧1)「球児がヤクザと間違えられる」事件
元号が平成に変わった1989年、非坊主の京都西高が甲子園に出場した。京都外国語大学の併設校である同校は毎年、修学旅行で海外に赴いていた。宿泊先のホテルに到着すると、フロントマンは丸刈りの野球部員を見て唖然とした。「何か悪いことでもしたんですか」。そう聞かれた野球部の中村芳二部長は、適切な答えを見つけられなかった。韓国に行った際には、ホテルの宿泊客が怪訝な表情で距離を置いてきた。「日本のヤクザでは」と警戒されていた。海外での肩身の狭い体験を不憫に思った中村部長は88年11月、「髪を伸ばしていい。ただし、スポーツ刈り」と伝えたという(※1)。
翌年、この流れが加速する。3月、京都西と練習試合を行なった山陽(広島)の大上誠吾監督が三原新二郎監督から話を聞き、丸刈りをやめた。山陽は広島大会で優勝。夏の甲子園に出場すると天理(奈良)、岡山城東(岡山)もスポーツ刈りだった。当時、日本高校野球連盟のこんなコメントが残っている。
長髪OK野球部も「目安は北島三郎」
〈丸刈りでない学校が3校も出場というのはこれまでになかった〉(90年8月9日/朝日新聞夕刊 )
画期的な“脱丸刈り”チームは前年春の京都西がベスト4、同年夏の天理が優勝、山陽がベスト4と結果を残した。ただ、山陽の大上監督は髪型に条件を出していた。
〈すそはバリカンですっきりと。前髪はまゆ毛にかからないように。歌手の北島三郎ぐらいを目安に〉(前掲紙)
中高生が吉田栄作や加勢大周のサラサラヘアーを真似していた時代に、高校球児は北島三郎並みの短髪を要求されていた。世間とは乖離していたが、丸刈り一色の状態から脱却しつつあった。