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球児の“丸刈り集団”を見た外国人「日本のヤクザでは…」同じ髪型=チームがまとまる“幻想”は消えるか? 「丸刈り訴訟」から慶応の優勝まで 

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岡野誠

岡野誠Makoto Okano

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posted2023/08/29 11:03

球児の“丸刈り集団”を見た外国人「日本のヤクザでは…」同じ髪型=チームがまとまる“幻想”は消えるか? 「丸刈り訴訟」から慶応の優勝まで<Number Web> photograph by Getty Images

慶応が覆した“常識”とは何だったのか。高校野球界でいわれてきた“高校生らしさ”のナゾを考察する(写真はイメージ)

熊本で起きた「丸刈り訴訟」

 この頃、社会的な風潮も大きく変化していた。昭和の終わりから平成の初めにかけて、中高生の丸刈りが以前にも増して、疑問視され始めたのだ。

 81年には『熊本丸刈り訴訟』が起こった。「男子は頭髪を長さ1センチ以下に丸刈りする」という中学校の校則は基本的人権の侵害で憲法違反と訴えた。85年に棄却されたものの、裁判官は判決文で「本件校則の合理性については疑いを差し挟む余地のあることは否定できない」「本件校則はその教育上の効果については多分に疑問の余地がある」と読み上げていた。

 88年3月には、静岡県の公立中学で校則違反の髪型をした生徒4人の写真を卒業アルバムに載せず、花の写真に置き換える事件が起こった。これを受け、文部省が全国的な校則の見直しに着手し始め、髪型も自由化されていった。それでも同年、三重県の国体出場の競泳選手が丸刈りを強要され、拒否した生徒の頭髪を教師がバリカンで刈って新聞沙汰になった。41歳の教諭はこう述べた。

〈丸刈りでカッコ悪いとかいう個人的な問題でない。頭を刈れば、記録も何百分の一かは良くなるはず〉〈坊主になって県代表として皆で頑張ろうじゃないかという士気を高める意味もあり、長い人生の中で、国体の時ぐらい精神的な何かを学んでほしかった〉(88年9月3日/読売新聞)

 頭を刈って、記録が良くなる根拠はないし、どんな“精神的な何か”を学べるのか合理的な説明もない。この頃は野球部問わずスポーツ界に、丸刈りを強要する指導者がまだ存在していた。

外圧2)Jリーグ開幕で「髪が伸びていった…」

 もう1つの外圧は国内から巻き起こった。サッカーJリーグの開幕である。初の公式大会である92年のナビスコカップでは、ヴェルディ川崎の三浦知良や北澤豪などが髪を揺らしながら躍動していた。高校のサッカー部員は90年の13万9818人から徐々に増え、Jリーグ開幕の93年には15万2181人となった。同時期、高校の野球部員は14万8227人(90年)から14万6838人(93年)に微減し、サッカーに追い抜かれていた。

 93年春、朝日新聞と高野連が全国の加盟校に初めて実態調査をすると、球児の髪型について以下のような結果が出た。

51%:丸刈り義務付け
29%:スポーツ刈りも可 
19%:長髪も可

 この回答は甲子園不出場校が大半を占めるとはいえ、約半数が非坊主を容認していた。たった3年前、夏の甲子園で49校中46校(93.9%)が丸刈りの事実を考えれば、時代は急激に動いていた。93年夏には京都西、東海大四(南北海道)、94年夏には仙台育英(宮城)、浜松工(静岡)、95年夏には柳川(福岡)、韮山(静岡)などがスポーツ刈りではなく、ツーブロックなどの髪型で出場した。同年の大会後、髪型に関するこんな総評が専門誌に掲載された。

【次ページ】 なぜ坊主が勢力を保ったのか

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